美術部の頃の話

高校に入学してから、僕はずっと続けていたサッカーを辞め、美術部に入ることにした。絵を描くことがずっと好きで、中学生の頃は漫画を描いていた。漫画雑誌に投稿などしていていた、もっと絵が上手だったらなと漠然と思っており、美術大学に進学したいと思うようになっていた。1年生の間は男子バレーボール部と兼部しており美術部は週に1度行く程度だった。バレー部の雰囲気が合わなかったため、一年の終わりくらいに辞め、美術部に毎日通うようになった。部員は少なく、僕の学年は僕含め3人しかおらず、しかも他の二人は演劇部と兼部をしている人で大体は僕と先輩方という感じだった。シュルレアリスム調の絵が多かった。

先生から、あなたは大胆な性格だから(悪くいうと雑)日本画とかデザイン科っていうより油科が合うと思うわ。と言われ、なんとなく油絵を描き始めた。1年生の頃、100号のサイズを初めて描いた(今思うともうちょい小さい号数だったかもしれないが、当時の自分にはとても大きく思えた)一番最初に描いた油絵は、大きな海の渦を上から見た景色の前に、バッファローのかぶりものをしている人が頭を抱えている絵(鉄コン筋クリートの影響)を描いた。多分それを書き上げるのに、半年くらいかかった気がする。美術部の備品である油絵具を大量に使って、何度も上から描きつぶしては色を変えたりタッチを変えたりしていた。先生から絵の具使いすぎだと注意をされた覚えがある。その完成した絵は神奈川県の合同美術展(?)に出した。横浜、関内にある県民ホールのようなところに部員みんなで搬入しに行ったのを覚えている。楽しかった。

2年生になると3年生は受験でほとんど来なくなり、新入部員と2年生(僕だけ)になった。新入生とよく喋っていた。みんな気さくで良い人たちだった。2年になるタイミングの選択授業で僕は美術を選択していたが、その学年で美術を選んだのが僕だけという状態になり授業が開講されなかった。先生は何か文句を言っていたし、僕も不満だった。僕は授業が終わると急ぎ気味で美術室に行った。美術室にはたくさんの石膏像があり、毎日木炭で(デザイン科や日本画科画鉛筆デッサンをやるのに対し、油科や彫刻科の試験は木炭でのデッサン試験がある。)石膏像を描いていた。一人黙々と美術大学合格を目標とし、毎日デッサンをしていた。木炭という画材は色が強く乗るものなので、真っ白な石膏を描くとき苦戦するものだった。木炭で淡い色調を出すことにずっと苦戦をし続けることになる。僕は石膏デッサンがずっと苦手だった。

先生は美術予備校なんかに行かず、おおらかな絵を描いて言ってほしいと言った。美術予備校に行くと絵が予備校くさい絵になるとよく言っていた。僕はその意味がよくわからなかった。美術部に毎日通って絵を描いていてもあまり絵が上手になっている実感がなかった。僕は毎日一度も休むことなく絵を描いていた。

2年生も合同美術展に絵を出すことになったので、去年と同じサイズの絵を描き始めた。木枠を組み立てて、布地を木枠に張りつけた。キャンバスを張るのに丸一日くらいかかった気がする。今の僕だった100号だったら、一時間かからないくらいで張れる。2年生の頃に描いた大きい絵は夕方の日が沈む時間帯の絵で、青っぽい色の絵で、その横に自画像のような学ランをきた人が立っている絵だった。その絵も半年くらいかけて描いた。毎日ずっと描いていた。手首が腱鞘炎になるくらいずっと描いていた。何に突き動かされているのか、僕は自覚していなかったがずっと描いていた。あれから7年たった今でも絵を描いている。

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