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昔は良かった

かつて私の父は言いました。

「よく『昔は良かった』なんていうけどな。人間、少しでも世の中を良くしよう、良くしようと頑張ってきてるんだから、絶対(昔と比べたら)今の方が良いんだよ」と。

WHOが定める「高齢者」に近付きつつある年齢でこう言えるのはすごいなあ……と思いつつ、その父より何十歳も若い自分はたまに思ってしまうのです。

「昔は良かった」と。

若い頃は気力体力全てが充実していて良かった……という話ではなく(確かに、若い頃は気力体力共にエネルギーに満ち満ちてはいましたが)。
本棚に並んだ積読本を眺めてはいつも思うのです。「昔は良かった」と。

昔……というか、もっと厳密にいえば、私が小学生~中学生ぐらいの頃。当時はインターネットなんてものは、おそらくこの手の技術に興味がある、一部のガチ勢だけが利用するものだったと思います。少なくとも、私の周囲を振り返ると、決して日常的なもの、ありふれたものではありませんでした。
通っていた小学校にパソコン室があったような気がしないでもないですが、逆にいえば「学校にパソコン室ってあったかしら? なかったかしら?」とその曖昧さに首を傾げるレベルです。
なので、twitterやInstagram、YouTubeなんてものはありません。当然、今私がこうして文章を綴っているnoteだって存在していません。

そんな時代を生き、かつ外で遊ぶより家で遊ぶ方が好きだったインドア寄りの子どもだった私にとって、娯楽といえば本を読むか絵を描くかぐらいしかありませんでした。友達と遊ぶ予定もなければ、家族でお出かけする予定もなにもない日。ぽっかり空いた時間を潰す術と言えば本を読む(か絵を描く)ぐらいしかないわけです。

時間を持て余した子どもの頃の私は、親が買い与えてくれた本や、学校の図書室や近所の市立図書館から借りてきた本。果ては親(主に本が好きだった母親)が自分用に買った本まで。とにかく家の中にある本、片っ端から読み漁っていたような気がします。
最終的(?)には、妹が生まれた際に親が買ったのであろう『子育て百科』まで読んでいました。今考えると、子どもを育てるどころか、親に育てられている真っ最中の身で、何を読んでたんだとツッコミを入れたくなりますが。
そんな幼少期の記憶を振り返ると、どうしても思ってしまうのです。「今のようにインターネットが発達していなくて、SNSもなければYouTubeもない、限られた娯楽しかなかった子どもの頃は良かった」と。
今、自分の部屋の本棚を見るとそれは大量の本(※当社比)が積まれています。詳しくは確認していませんが、買ってから半年以上経っている本なんてザラでしょう。1年以上積んでる本だってたくさん出てくるかもしれません。

きっと小学生~中学生の頃の自分であれば、今本棚に積んである本の8割は読みきっていたと思います。だって本を読む(か絵を描く)ぐらいしか娯楽がないのだから。それ以外に時間を潰す術を知らないのだから。
21世紀になり、技術が進歩し、大人になった今の自分の周囲を見渡せば、お手軽な娯楽がたくさんあります。twitterを開けば「いいね」を押したくなるようなツイートがタイムラインにたくさん流れています。YouTubeのアプリを起動すれば、すぐに面白い動画が見つかります。

そんなたくさんの娯楽に満ち溢れた中で「本を読む」という娯楽に手を出すことへのハードルの高さといったら!!!!

本を読むのは決して嫌いではありません。子どもの頃から大好きな娯楽だったんですから。大人になってからも、読んでる間、ずっとわくわくどきどきした読書経験ならたくさんあります。
けれど「この本を読もう!」と本を手に取り、読み切るまでのハードルは、読書しか娯楽がなかった子どもの頃と比べて、お手軽な娯楽が身近に溢れている大人になった今の方が、圧倒的に高くなってしまったよなあ……と。

インターネットが身近になったことで広がった世界は数えきれないほどたくさんあります。そもそも、こうしてnoteで文章を公開することもそのひとつなわけです。だから「インターネットなんて普及しない方がよかった!」とは口が裂けても言えません。けれど、それでもやっぱり、本を読むことが娯楽の大半を占めていた子どもの頃を思い返すとたまに思ってしまうのです。

「インターネットがまだ普及していない、昔は良かった」と。

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