「学生寮」の思い出①

学生寮に対する、一般的な印象はどんなものでしょうか?
制限のある生活、閉鎖的、不自由… そんな感じだったりするのでしょうか。

私は寮暮らしの経験がありますので、経験のない方がどんな想像を膨らませるのか、なかなか想像しにくくなってしまいました。もしネガティブな印象が多いのであれば、残念だなぁと思い、当時の思い出を書ける範囲で書いてみようかな、と思います。


人見知りMAX!思春期に入寮

私は、高専という工業系の学校への入学と同時に寮に入りました。寮完備&広く学生を募集している高専には、様々な地域から学生が集まっており、私もそのうちのひとりでした。ちなみに、高専はどんな学校かと言うと、9割男子&親元を離れた少年たちで構成されている学校、という感じです。ちょこっとお勉強ができる魁!男塾を想像してください。それです。

15歳にして親元を離れ、同じ中学出身の友達はひとりもいない学校に入学しました。今思うと、かなり思い切ったことをしたものだと感じます。想像力が非常に乏しかったのだと思います。入学後のことはなにも想像せず、父親や担任の勧めるがままに学校を選びました。

これまで、勝手知ったるコミュニティでしか生活経験のない私は、同級生に声をかけるにもドキドキするほどの人見知りだと、その後に知ることになりました…。転校や転職の経験のある方ならわかるかもしれませんが、知り合いのいないコミュニティに、単身で混ざるのは、大人になった今でも結構しんどいものです。
ただ、友達が出来てからの生活はとても楽しいものでした。もう、毎日がお泊まり会!食事も、お風呂に入るのも、寝る時・起きる時さえ一緒です。仮に誰かとケンカしてしまっても、別の友達のところへ遊びに行くだけでした。と言っても、友達と兄弟の間のような存在ばかりでしたので、ほとんどケンカはしませんでした。遊びも悪さも恋愛も、全て共有する間柄です。友達になって15年以上も経ちますが、今でも頻繁に遊ぶ友達が、数多くできた時期でした。


これもあれもダメ!激縛り生活!

正直に言うと、寮生活は制約がめちゃくちゃ多いです。寮則、ルール、マナー、時間、上下関係…。そういった面があるからこそ楽しく過ごせたとはいえ、それにしても制約が多すぎる…。
その「制約」をいくつかご紹介しましょう。最も身近で、最もインパクトが大きかった制約が、消灯時間です。一部の例外を除き、深夜12時に消灯されます。先生が回って、「おーい、もう寝ろよー」なんて言いながら電気を消して回る…。そんな生ぬるいものではありません。寮全体のブレーカーが自動で落とされます。その瞬間に真っ暗です。コンセントも当然使えなくなります。ちなみに、週末も同じスケジュールです。つまり、友達と夜ふかしをするのも、真っ暗闇のなかで、ということになります。
食事や入浴の際も時間的な制約がありました。大変なのは夕飯時です。食堂で夕食が提供されるのも、お風呂に入れるのも、18:00から20:00の間だけ。そして20:20には当直の先生による巡回点呼がありますので、必ず自室にいなくてはなりません。
なにが大変か?体育会系の部活に入っている寮生は、19:30頃まで部活を行なっているのです。私は体育館競技のバドミントン部に所属しておりましたが、他にもバレー部や卓球部、バスケ部もおりましたし、グラウンド競技の学生たちも、同じような時間まで練習しています。そこから皆が大急ぎで食堂に向かうのです。食堂に着いたら、大急ぎで可能な限りおかわりし、食事を終えたら滑り込むようにお風呂に向かい、烏の行水のように入浴を終え、猛ダッシュで自室に戻らなくてはなりません。
実際には、20:00ちょうどにお風呂場の鍵が閉められるわけではありませんでしたが、油断して入浴したせいで、バスタオルで股間を隠しながら点呼の列に並ぶこともありました。そんなことが毎晩繰り返されておりました。

テレビっ子だった私にとって、テレビの持ち込み禁止も厳しい制約でした。とはいえ、毎晩ブレーカーを落とされるので、深夜番組の録画も出来なかったでしょうが…。ちなみに、持ち込みを禁じられている家電製品は他にも多々ありました。基本的に、電気の使用量が大きいものはアウトで、冷蔵庫や電気ケトル、炊飯器もダメでした。その割に、ドライヤーはOKだったりしました。全寮生が同時に使ったら、ブレーカーなんて余裕で吹っ飛びそうですが…。
とは言え、食べ盛りの少年たちですから、食べ物に繋がるような電化製品は、多くの学生が持ち込んでおりました。寮食のでない土日は、毎食のように炊飯器で3合くらいのご飯を炊き、夜中になれば夜食のカップラーメン用のお湯を電気ケトルで沸かし…といった感じでした。※廊下やトイレの電気だけは、ブレーカーが分かれていました。よく出来た建物です…

根本的な部分の制約でいうと、部屋は個室ではなく、基本的に3人部屋です。それも、先輩ひとりに同級生ふたりの3人です。怖い先輩と同部屋になれば、半年後の引越しまで暗い日々が続きます。と言っても、そんな方はほとんどいないのですが、できれば優しい先輩と同部屋になりたいと、みんな思うわけです。そんななかで出来上がったのが、ご贈答文化です。
寮の部屋割りを決めるのは、各棟にひとりずついる棟長という学生です。面識のある後輩たちは、寮内一斉引越しの前にこぞってお菓子を持ってその棟長のもとに伺います。"忖度"なんて言葉を知るずっと前から、政治家先生への陳情よろしくそんなことをしておりました…。※学生が買える、可愛らしいお菓子でしたが!


鉄の掟!破れば退寮!

集団生活にはルールがつきものです。前述の制約もそうですが、私が暮らした寮には、学校側が定める「寮則」が存在しました。制度は交通違反に近いもので、規則ごとに点数が設定されており、一定数貯まるとそれに応じた罰が与えられる、というものでした。最大15点で、5点を超えれば寮内清掃、10点を超えれば停学処分などが設定されており、15点まで貯めた学生は、晴れて(?)退寮処分となります。ただ、5点以下であれば、1年経過した際にゼロに戻ることになっており、このへんも交通違反に似ておりました。

特に厳しい点数を設けられていた罰則は、男子寮への女子の招き入れ、および女子寮への男子学生の侵入です。これは、どちらも1発退寮の15点!それでも、友達から「この週末は恋人と一夜をともに過ごしたい!」と頼まれると、招き入れの手伝いをし、部屋を明け渡して別の友達の部屋で寝ておりました…

歴史が紐づく罰則もありました。「寮内で麻雀をしてはならない」というものです。音がうるさいというごもっともな理由もありますが、その昔ハマりすぎた先輩が大量に留年したから、という理由が大きいようで、これも点数は15点に設定されておりました。それでも私たちは、テーブルに毛布を引いたりなんかして、週末に楽しんだものです。


つらつらと書いてきましたが、見返してみるとネガティブなことばかり書いてしまっております…!5年も過ごした寮ですので、とてもひとつの記事には収められませんので、パート2は楽しかった思い出を中心に書きたいと思います!

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