2019/07/23

カネゴンは今まで自分のことをオバケのQ太郎だと思っていましたが、どうやらカネゴンは実は赤毛のアンだったということが判明しました【アイデンティティとおれカネゴン】

↑上はそんじょそこらの機械翻訳にはかからないことを請け合います【もともとかからぬおれカネゴン】

NetFlixでふと「赤毛のアン」第1回を見て、あまりの完成度の高さに打ち震え、同作品が原作を忠実に再現?した、高畑勲監督の渾身の作であることを知りました

特に画面背景のアートワークが、極めて念入りに仕上げられていて一分の隙もない【全面幸福おれカネゴン】

そして週に1〜2本ずつちびちびと見始め、10回ほどになりました

ひとときも喋り止むことがなく、空気を読むこともなく、思ったことをズビズバ言ってのけ、場にそぐわない言動で教会や日曜学校で周りの者の眉を顰めさせるアン

しかし幸せ薄い生い立ちにもかかわらず、その本性は限りなく素直であり、赤毛やそばかすに対する劣等感を顕にしながらも、決してジメジメ陰湿にもガツガツ強欲にもならないアン

並の人間がよくやるように他人をうまいこと利用しようともせず、手癖が悪かったりもしないアン

アニメ10回目で日曜学校に行くまでの登場人物の少なさは異常、にもかかわらず見るものをぐいぐい惹きつけて離さない

ここまでで年頃のイケメン男子などちらりとも登場しないにもかかわらず、明らかにある種の少女漫画の元祖

コメディではないにもかかわらず、ホラー漫画の主人公と変わらぬレベルで真剣でひたむきで一生懸命なアンの言動は、ときに失笑を、ときに快哉を呼び覚ます【諸手を叩いておれカネゴン】

カネゴンにとって、そんなアンの姿があまりに他人と思えない

カネゴンの立ち居振る舞いを外部から仔細に観察したら、さぞかしこのような姿であるに違いない【中年男のおれカネゴン】

カネゴンの周りの人が普段から本当は何を思い、何を感じているのかを、アンの周りの人物たちの言動から今になって知ることができました

果たしてカネゴンは、今更アンでないように振る舞うことができるのか

息を殺して周りのモブキャラに溶け込み、それらしく口に手を当てて「あらやだ」などと無責任な視線を送りながら安穏と暮らすことはできるのか

カネゴンにはその自信がありません

カネゴンが平井堅やKing Gnuのようには生きられないのと同様、アンでないように生きることもできなさそうです【左卜全おれカネゴン】

でも、そんなアンにもダイアナという実によい友だちができたのを見て、カネゴンは思わずじわっと目に蛍火のようなものが灯ってしまいました【元栓締まらぬおれカネゴン】

よき友は必ずどこかにいる、カネゴンにすらいる

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