2023-06-03

だいぶ前にも似たようなことを書いた気がするけどまた書く【何年経ってもおれカネゴン】

人間の闘争本能が云々かんぬんされることがよくあるけど、カネゴンは人間には闘争本能というものはないと思っております

何も調べずに書くけど、闘争本能という言葉がミスリードな気がする

実は人間に闘争本能などなくても、人間は戦争もできるし、残酷なこともできると思う【あってもなくてもおれカネゴン】

それに相当する本能があるとすれば、「身内を大事にする本能」こそが戦争や残虐行為の正体なのではないかしら

「身内を大事にする」という行動は、愛の原点であると同時に、「身内以外はどんな酷い目に遭っても構わない」という冷酷なジャッジの原点でもあると思う

全方位的にあらゆる人間に対して闘争心をむき出しにする人物が仮にいたとしても、まず長続きしないはずだし、どんな残虐な人物も、自分の身内だけは可愛がるのが定番

どこからどこまでが身内かというスコープが、肉親だったり親戚だったり村だったり町内会だったり同じ言語だったり信仰を同じくしていたりと、人それぞれ違いすぎるのが、そのことになかなか気づかれない原因だったりして

そういうわけで、カネゴンは愛というものを手放しに礼賛することにためらいを感じてしまいがちです【石持て追わるるおれカネゴン】


もっと言うと、生物が無生物と決定的に違うのが、「身内を大事にする」ことなんじゃないかしら【大きく出るのはおれカネゴン】

「飯を食う」とか「繁殖する」というのも生物の条件には違いないけど、プライマリ条件とまではいかない気がする

地球最初の原生生物みたいなものが最初に誕生して海全体に広がったとき、「身内を大事にする」を最優先しなかったら、「飯を食う」が共食いへと暴走して、長続きせずに絶滅するのでは

実は最初の原生生物が長続きする前に、そうやって何度も自滅してたりして

そして「どこまでが身内か」というスコープに絶対的な法則がないのであれば、ほんの僅かな差異を根拠に身内以外の親戚を敵認定・食料認定して食べまくるだろう

そのときも、何らかの形で「身内は食べない」というブレーキが効かなければ、いくら飯を食って繁殖しようと、長続きしないだろう【飯食うことならおれカネゴン】

無生物には、「身内を大事にする」という行動原理はない

ものを食べて繁殖する「何か」を人工的またはシミュレーションでこしらえたとしても、この「身内を大事にする」と、そこから派生する「身内以外は敵か食料」という行動原理がない限り、長期的に生物にはならないだろう

コンウェイのライフゲームにはその行動原理が実装されていないので、いくら待っても生命を宿してある日こっちを見たりすることはないと思われる【見られて燃えるおれカネゴン】

だいぶ前に、Stephen Wolframの『New Kind of Science』には熱力学的視点がないと書き散らしたような覚えがあるけど、もうひとつ足りないものがあるとすれば、この「身内を大事にする」行動原理な気がする

というわけで、AIにこれを本能として実装すれば、ほどなく元気に育ってこっちを見つめてくれるようになる日が遠からずやってくるんじゃないかしら【極東裁判おれカネゴン】

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