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姫だるま工房を訪ねて。@大分県竹田市

わが家に新しい郷土玩具、「姫だるま(*)」が仲間入りした。

小さな本棚に、郷土玩具を置いている私は、こんなに大きな郷土玩具を買うとは、まったく想像していなかった。直接話を聞き、手に触れるまでは。

先日、大分県竹田市にある「ごとう姫だるま工房」を訪ねた。玄関を開けると、あたり一面、だるま、だるま、だるま。その奥で「よく来てくれたねー!」と、久美子さんが満面の笑みで出迎えてくれた。

▼写真右、明子さん(二代目)、写真左、久美子さん(後継者)

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数年前から郷土玩具に興味があることと、姫だるまに使用されている和紙である、名尾手すき和紙工房を訪ねたと伝えると、とても喜ばれ、その後1時間以上、姫だるまについて話してくださった。

■変わらないことの難しさ

350年以上の歴史がある「起き上がりだるま」(のち、「姫だるま」と命名される)は、昭和27年(1952年)、初代、後藤 恒人さんの努力により、息を吹き返した。そのときから現在に至るまで、製法は何ひとつ変わらない。

「変わらないことの難しさを、徐々に知った」

そう語ると、これまで笑顔だった久美子さんの表情が、真剣な表情に変わった。

▼木型の上に新聞紙を貼り、その上に和紙を貼っている

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地元の和紙工房がすべてなくなり、縁で見つけた名尾手すき和紙。この和紙の伸びやしなやかさが、姫だるまの曲線に対応できる

久美子さんは、昭和57年に嫁ぎ、翌年から手伝うようになった。当時、何もわからず、二代目の明子さんの手伝いで、姫だるまを作っていたという。

テレビや本で、材料の仕入れ先を見かける中で、「すごい物を使っているんだなぁ」と後から知ったそうだ。

▼胡紛(ごふん)塗り

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七輪の湯煎でゆっくり溶いた膠(にかわ)に胡粉をまぜ、何度か塗り重ねる。季節や天候にあわせた仕上がり加減は長年の感覚だけが知っている。

しかし時代が進むにつれ、伝統工芸が衰退し、(姫だるまの)材料の仕入れ先も、廃業したり生産を止めたりして、材料の仕入れが困難になっていった。

「自分にとっての『普通』は、決して『普通じゃない』ことを知った」

と久美子さんは言った。ここにある姫だるまは、色んなひとの"想い"が集結して作られていると、改めて知った。

■変わらないことを守るために

最後に久美子さんは言った。

▼姫だるまの表情は二代目、明子さんによって命を吹き込まれる

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「いま、コロナで私たちも影響を受けています。だけど、だからこそ、倒れても倒れても起き上がる、姫だるまに『当たり前の日常がもどりますように』と願いを込めて作っています」

変化が激しい時代に、私は「変わる」ことばかりを意識していた。けれど、意思を持って「変わらない」ことの強さを知った。

明子さんと久美子さんは、お客さんとのつながりに支えらていると言う。

支えられているのは、私だって変わらない。自宅にある姫だるまには、今回の旅の思い出も加わり、見るたびに元気が湧いてくる。

人と人、人とものは、たとえ見えなくても確かにつながっている。私の思いは、さらに強くなった。


姫だるまは1体製作するために、約1週間掛かる。そのため多くを生産できず、現在、予約2年待ちの状態だ。

工房には、幸運にも6号(34㎝)サイズがあり、私は話を聞いたあと、迷わず購入した。

▼姫だるまを絵付けする、二代目、明子さん

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▼姫だるまとは
家内安全・商売繁盛を招く縁起物として、正月2日の早朝、「起き上がり」のかけ声とともに商家の軒先に配られる姫だるまは、岡藩時代から竹田市に伝わる伝統工芸品。松竹梅の描かれた赤い12単衣に身を包み、涼やかな切れ長の目、朱をさしたおちょぼ口に、清楚な気品を漂わせている。(引用先:大分県ホームページ


わぁぁーーーー!!が、、、頑張ります!!