見出し画像

『正史と偽史~Ghost Of tsushimaに見る歴史の正しさとは』



歴史を紐解く上で多くは
残された資料から類推し
恐らくこうだろうと仮説を立て、 
仮説を裏付ける物的証拠を
集める作業をする。

社会心理学も同じ、
多くの論文がその様な
形で作られている。

特に歴史学において
大事なのは二面性に
おける選択である。

ある事柄に対し
二つの意見がある。

一つは加害者的視点、
今一つは被害者的視点。

当然両者の視点は真逆、
特に戦史はその側面が、
非常に色濃く出る。

一つの例を取ると元寇、
蒙古軍が二度に渡り、
日本を襲撃した歴史的事件。

幸運にも二度とも神風と
呼ばれた台風時期に来襲し
その台風により大打撃を
与えられ日本本土は戦の
影響を受けずに済んだ。

だがその裏側で矢面に立った、
壱岐対馬は壊滅的被害を受け、
多くの民が殺され家々が焼かれ、
筆舌に尽くし難い辛酸を舐めた。

然し教科書ではその事は触れず、
日本が神風で勝利した事のみを
載せるに留められている。

我々も当時はその事を知らず、
後に二度に渡る大戦によって、
多くの命が失われた事を知った。

壱岐対馬の祖先達は
何度もその事を訴え、
改定を求めたが固辞、
正史は闇に葬りさられた。

だがその無念さは後に
様々な映像作品やゲームで、
リアルに語られる事となり、
壱岐対馬の民は随分喜んだという。

然し同時に悪者扱いを受けた元寇側も
黙っては居ない、政府に圧力を掛けて
お蔵入りとなった作品群は少なくない。

こういう風に見てくると果たして、
正史と偽史とは一体何処に違いがあるのか?

何方が正史で何方が偽史なのか?
その判断は極めて難しいと言える。

結局はその判断は体験者しか
下せないのではないか?が結論となる。

私はそう考えている。

サポート頂いた方の思いを私なりに形にし世界へ発信していきたいと考えています。人は思いによって生かされている事を世界へ発進する為の資金に使わせて頂きます。