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『誉め言葉の持つ二重構造』


例えば同期や同僚同じ学校やサークル仲間等
所謂“お友達“同士で持ち物や髪型等を
互いに誉めあっている場面に遭遇します。

主に女性に見られる光景ですが
最近は男性も見かけるようになった。

互いに誉め合い気持ち悪いと
思う人も居るかもしれない。

素直に誉めてあげられる
器の大きい人と思う人が居るかもしれない。

人が人を誉める際
其処には様々な思いが交錯し
様々な思考構造が多重的に存在する。

人が人を攻撃する時、
其れは自分が人よりも劣っている事を
認める時である。

では人が人を誉める時、
其れは自分が人よりも
優れている事を認めている時だろうか?

所が簡単にはそう行かないのが心の不思議。

攻撃時と同じで人には縄張り意識がある。
これを心理学的にpersonal spaceと呼ぶ。

日本語に訳すと近接距離となる。

これは人が人と接する際に
不快と思う距離を示している。

近しい存在の人程近接距離は短く狭くなり、
遠い存在の人程近接距離は長く広くなる。

人が人を貶すのも誉めるのも
このpersonal spaceが深く関係している。

その人がpersonal spaceを侵さない範囲に
存在している時、人の心は寛容になる。

その人が己のpersonalspaceを
侵す範囲に存在している時、
人の心は狭くなる。

これを心理的拡幅効果と呼ぶ。

寛容になると人は人を認知し其れを誉める。
狭くなると人は人を認知せず其れを貶す。

では友達同士の場合はどうだろうか?

実はこれが逆のベクトルを向く。
何故か?其れは共有近接距離が関係する。

近接距離には実は二つ存在する。
個別近接距離と共有近接距離の二つ。

個別近接距離に関しては前述の通り。

されど共有近接距離の場合は逆になる。
其れは場の共有性に其の問題の根元がある。

場を共有していると感情の共有もなる。
即ち此方の好悪感が相手にも伝搬する。
すると自らの危機意識も相手に伝搬する。

相手を貶す事は危機意識の容認となる。
相手を貶す行為は己の敗北を容認する事。
故に“お友達“の場合は只管誉めちぎる。

そして己の危機意識を隠すのである。

更に言えば優位性の確保にも繋がる。
先に述べた通り誉める事が出来る人は
器の大きな人という解釈となり
優位性の確保に繋がる。

故に“お友達“同士の中の
優位性を確保する為に褒め合う
という事に繋がるのである。

“誉める“という行為の持つ二重構造が
これでお解り戴けたかと思います。

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