メゾンドモナド

僕は生まれた時、へその緒が首に巻きついていて顔が真っ黒だったらしい。それを見たおばあちゃんは、母親が黒人男性と浮気したのではないかと思ったらしい。

僕が生まれた時、実家の賃貸マンションでは犬を飼っていた。名前はイブと言った。ほとんど僕と入れ替わりのような形でイブは親戚の家に引き渡されたらしい。

イブのことは知らないけれど、壁に掛かっていた小さな写真に白い犬が写っていたことを覚えている。

四歳の時に父親が小さな箱に入った仔猫を持ち帰ってきた。そこには可愛らしいアメリカンショートヘアの猫がいた。箱を開けた時のことを今でも覚えている。

それからしばらくして、父親は離婚して家から出ていくのだが、その間にもう一匹の猫が家にしばらくいたことがある。ゴルフの練習場でたまたまぐったりしている黒い猫を見つけた。練習場の隅に外に通じるドアがあって、トイレに行く途中そこから外にふと目をやると水撒きをするホースが水道に繋がれていて、その下にいた。すぐに父親を呼んで猫の側に行くと、たくさんの蟻がついていた。父親がすかさずホースの水を猫にかけると猫は嫌がった。太陽の熱で水が熱かったのだ。その後練習を中断して猫を動物病院に連れていった。しばらくの間その猫は家にいた。注射器で医者に処方されたブドウ糖を飲むことしかできなかった。そして数日後に死んだ。

夏休みにはいつもおじいちゃんの家に居たのだが、月に一度お坊さんが来てお経を唱えた。それを僕も後ろで正座しながら聴いていて、お坊さんの声が耳の中でうわんうわんと共鳴するのが面白くて自分にもそれができないかと一人練習していた。

猫の前でその声を出すと調子が良い時だけ何故か猫は鳴きながらすり寄って来た。調子が悪い時は無視された。僕の声の調子が良いのか猫の調子が良いのかよくわからなかったけれど、猫がすり寄って来てくれた時は嬉しかった。

実家のマンションから徒歩数十秒の所にローソンがあって、幼稚園に行く前から一人千円札を握りしめて買い物に行った。買うものはだいたい決まっていた。好きだったのはカロリーメイトのフルーツ味。ピクニックというパックのコーヒーとフルーツオレ。菓子パンはスナックパンとチーズ蒸しパン。サッカーチームのシールが入っているガム。からあげくん。肉まん。好きなものをカゴに入れ、レジに持っていくと会計がちょうど千円だったことがある。その時何故か自分が駄目なことをしてしまったような気がした。恐る恐る握りしめた千円札を出して、いつもみたいにお釣りを貰えなかった。あの時の僕は何歳だったのだろう。あの頃の北海道チーズ蒸しパンには真ん中に北海道のマークは無くて、確かシロップが付いていたと思うのだが。

僕は神経質なところがあって人が口を付けた飲み物を飲めなかった。公園にある公衆トイレにも入れなかった。そのせいで酷い便秘になったことがあって、家に帰ってからもどうしても出なくなってしまった。最終的にはトイレで看護師の母親に浣腸をしてもらって出たと記憶している。母親いわくその時僕は白目を向いていたらしい。ぼんやりと覚えているのは便器の前に敷いた新聞紙とほぼ同じ長さのものがあったこと。それは妄想だろうか、現実の記憶だろうか。ただ、便器に座った状態で浣腸はできないし新聞紙が敷いてあることはちゃんと筋が通っている。

一番古い記憶はたぶん、お風呂で溺れた時だと思う。あの時は言葉を話せたのだろうか。母親に身体を洗ってもらい、湯船に入れようとした時手が滑ったのだと思う。天井が揺れて衝撃が来てぼんやりと母親の姿が見えたような。そしてすぐ掴まれ抱き抱えられ僕は泣いていた。母親は何度もごめんごめんと謝っていた。

そういえばイブは赤ちゃんだった僕に噛みついたり引っ掻いたりしなかったんだと誰かが喋っていた気がする。ということは、僕はイブのことを覚えていないけど会っていたんだろう。その時僕は言葉を知らなかったはずだし、記憶も無い。僕はあの壁に掛かっていた小さな写真に写っていた白い犬と何を話していたんだろう。

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