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2018/7/30〜8/5

2018年7月30日(月)
『業務日誌余白』(松本昇平、新聞化通信社)がとてもいい。とてもおもしろい。

“大正末期の日本経済界は不景気そのもので、不況に強いと言われる出版は雑誌のことを指して言ったのであろう、書籍はドン底であった。”同書p.3

ここからスタートで、期待が高まるというか、期待しかない。
続く文章に

“雑誌販売係は昇給しても書籍販売係はストップであった。給料では何も買えないので、私は短い小説や童話を書いて内職にしていた。その頃の門前の小僧にはそういう仲間が多く、「文章を書くには、まず日記を書け」と教えられていたので、仕事上の報告には注文の多い売れているものの書名は勿論であるが、月に一回締め切って、その売行き状態も書けと言われていた。”同書p.3

とあり、もうなんだか、いま、読む、べき、みたいな感覚がどんどん湧き上がってくる。『読書の日記』(阿久津隆、NUMABOOKS)や『神保町「書肆アクセス」半畳日記』(黒沢説子、畠中理恵子、無明舎出版)などを立て続けに読んで、日記とは良いものだなぁと思っていたことを思い出しながら、いま日記を書いている。
『業務日誌余白』。大正時代に定価販売のお達しが組合からあったが、古株の先輩は値引いて売ってこそ商売の冥利、どこにいくらでどう卸しているかが記憶できてこそ一人前みたいな部分があって、丁寧に定価で台帳を作ったら怒られた、とか。そんな中円本ブームがやってきて、定価でどんどん売れていくものだから、

“思いもよらぬ大量生産大量販売方式は、あっという間に出版会の面貌を変えてしまった。定価とか割引とかの話は遠い過去の話としてぶっ飛んでしまった。形が無いうちから予約申込金(最終回配本に充当)まで取って売るのに、なんで割引ぞや、であった。”同書P.35

なんで割引ぞや。

2018年7月31日(火)
などと言いながら今日は『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子、東洋経済新報社)を読んでいる。「店主の読書会」というラジオに誘われて、もう地味に一年くらい毎月収録しているのだけれども、その課題本なのだ、が、この煽りまくったタイトルに忌避感があって、課題にされなければ一生読まないような本で、そういえばこの読書会は「誰も読んでいない」を一つの選書基準にしていて、つまり3回に2回は面白くないってみんなで語り合う、というと語弊があって、主に僕がつまらないと主張する、ような本を読んでいるんだけれども、どうもこれはアタリだった。タイトルはやはり煽り過ぎで、内容の三分の二くらいは、平易でかつしっかり書かれたAIについてのしくみ、発展の歴史で、とにかくそこが良かった。地に足のついた実験と思索の記録は本当に穏やかに読める。読んでいる。読み終わったので、ちゃんと読書会をして帰った。

2018年8月1日(水)
ヒビヤセントラルマーケットに行ってきたのは、先週の土曜日で、本当は「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」に行くつもりで、でも「シャンテ」と「ミッドタウン」の違いを理解しておらず、なんとなく入ったミッドタウンで迷っているうちにCOTTAGEが閉店時間を迎えてしまっていたのであった。ので、消沈の面持ちでセントラルマーケットへ赴いた。
大学でフランス史を学んでいたころ、ゼミの先生から「フランス人は講評のとき必ず最初に褒めるの。で、そこからむちゃくちゃにけなされるから、怖いよ〜」ということを聞いてから、最初に褒める人は常に警戒しているのだけれど、なのでそれを踏襲してみると、世に言われているほど立て付けは悪くないというか、人がいるのは飲食ブースだけだったけれども、何処で稼いで何処で魅せるか、だれにどう家賃と利益が配分されているか、というのは見た目ではわからないし、場所と空間という意味では結構マッチングしているのではないかと思った。
が、ここは本屋ではないので二度と行かないと思うし、早く本屋の看板を下げてほしい。「有隣堂」という名前は本屋の屋号ではありません、というのであれば、それはそれで(悲しくなるけど)良いのだけれど。

太洋社に入って、最初に新規店の棚入れに行ったとき、先輩である営業のベテランメンバーは、(その選書が現代の本屋において正しいかはさておき)この規模の書店であればどの版元のどの本が、どのように陳列されていないといけないか、ということを熟知していた。特に粗詰めが終わったあとの最終調整をする、“ドン”みたいなメンバーは、遠目に本棚を見て「あのシリーズ入ってねぇじゃねえか!!」ということを言って即座に発注させていた。その中でも、棚に同じ本を2冊入れない、平台は選ぶということは徹底していて、見込み発注である以上現場での棚割り変更や売り場調整によってロスが出るのは当たり前という環境で、でも平台に置ききれなかった本を3冊そのまま棚に指して充当するということは許されていなかった。1冊だけ入れて足りない2冊分のスペースは発注する。それがオープンまでに間に合わなければ、この棚入れは失敗だった。だから僕は当時、いろんな取次の新規店を見に行っては、「この取次はダメだなぁ、実用書を棚差し3冊とか、最低」などと思っていた。そこまで手を入れるのは、どうもウチだけらしいということに気づいたのはしばらく経ってからだったが。

だから、というか、だからでもなんでもなく、このレベルは、というか、こんなことが、許されてはいけないし、悲しみではなく純然たる怒り。怒りがある。
この店に本屋さんは1人もいないことがわかる。この棚をプロデュースしたり関係した人たちは本を売るということに一度も気を使ったことがないことがわかる。販売という点を差し引いても、選書をして、魅せる棚を作ることすら意識したことがないことがわかる。本を売ることに向き合った人ならば絶対にこういうことはしない。これを、少なくとも向こう数年は本屋として事業を立てていく会社がやってはいけないし、今すぐその看板を、少なくともこの店からは下ろすべきだ。怒りのあまり魚拓をとってしまったけれども、webサイトの「TRILL」というところに談話が載っていた。

“悩んだ後、南さんに「本は売らなくてよいです」と言いました。有隣堂は『本』という『モノ』だけではなく、『モノ』を通じて『情報』や『娯楽』、あるいは『夢』を売ってきたと考えています。書籍が売れなくなってきて『書店』を再定義しなければならない時期でもあり、あえて本にこだわることもない、それよりも南さんの世界を存分に発揮して頂きたい、と思いました。しかし、南さんは『本は必要だから売ります』と言ってくれた。これは嬉しかったですね。”

別に本屋だから本を売る店を作らなければいけないなんてことはない。自由な発想で業態を作っていくのが楽しいと思うし、本屋を営む会社がやっているからという理由で、本を売っていないから良くない、という批判は間違いだ。でもこの店は本に向き合っていないし、必要ともしていない。本を売っているということは、本屋であるための免罪符ではない。だからここは本屋ではないし、商品を殺しているという意味で商店としても間違っている。
僕は、というか、本を真剣に売ろうとしてきた人たちは、売り場で、自分の店で、一箱古本市の店頭で、置かせてもらっているカフェの棚で、自宅の本棚で、本を売って人に届けるには、ということに真剣に向き合ってきた。たとえばその形がビジネスに見えなかったり、一見本とは直接関係のないイベントだったりもした。でもまなざしは同じはずだ。失礼だった。この棚は圧倒的に、僕たちの想いを、その無知と無関心によって、侮辱していた。
店に戻り僕は本を触りながら、真剣に、「本」という「モノ」で「夢」を売ることを考えた。それはつまり良い本との出会いの場があればよかった。夢は買った人が自分で見つけるものだったし、「夢」まで店が作るのはおこがましいだろうと思えた。そのためにできることは、最低限の選書をすることだったり、棚を整えることだったり、人と会うときに清潔な服を来たり、友達を家に呼ぶときに掃除をしておくような、すごく単純なことで何も難しくはなかった。誰でもできることだ。だから安心しながら翌日も店を開けた。土曜日の夜のことだった。

2018年8月2日(木)
なんというか、振り返ってみたら常に本屋に行って怒っているような気がする。怒っている? もやもやしている? 考えるための情報量が多すぎる。

新潟の英進堂が移転するそうである。英進堂は僕にとって特別な店で、この店がなければHABはない。東京での講演会がきっかけで新潟の北書店に行き(このあたりの経緯が『本屋な日々』(石橋毅史、トランスビュー)に密かにまとまっていて、同様の講演会の場面があり、そこで質問した取次の人、というのがつまり僕なのだが…)、そこで教えてもらったのが英進堂だった。
良かった。僕の田舎や地方に行けばどこにでもよくあるショッピングセンターの光景の中にある300坪のお店。この規模でこんな品揃えができる店は見たことがなかった。すごかったし、なんだか当時は業界、というか、本全体をなんとかしないと、みたいな、今でもあるんだけれども、当時はもっともっと強く、というか、肩肘張って生きていたので、それはもう「革★命」みたいな、衝撃をうけたのを覚えている。で、どうしても、どうしても店主の話が聞きたくなって、HABを作ろうと思ったときに、いの一番に電話を、そう、だって知り合いでもないしツテもないから、いきなりオフィシャルの番号に電話をかけたのだった。で、『HAB 新潟』に掲載した英進堂の紹介文がこれ。

“ 英進堂という店をご存知だろうか。
 大きな駐車場を、飲食店やスーパー、日用雑貨店が囲んでいる郊外型のショッピングセンター。英進堂はその一角にある。
 英進堂の裏には、蔦屋書店が出店している。ショッピングセンターが二つ、連なっているのだ。約400坪。英進堂より大きな規模のその店は文具、別棟でセルCD、レンタルも扱う。
 一見すると普通の店。でもその印象は中に入ると一変する。大きな店舗案内ボードに誘われるように、店内を回遊する。新刊なのに本にパラフィンがかかっている。古本でも手に入りづらいような雑誌のバックナンバーが置いてある。そして古本もある。定期的に一箱古本市も主催しているようだ。
 本屋の世界では、大型店が増える時代があり、いまはすこし小さな店がはやっているようにも思う。では、その中間は?
 チェーン店ではない数百坪のお店。そこにも目を向けたい。
 英進堂は本屋である。”『HAB 新潟』P.91

気負っている。大変気負っていて、今の僕はこういう文章を、多分書けない気がする、というか書かない。
当時から隣接する蔦屋書店の影響は大きくて、インタビューの後、なんども足を運んだけれども、やはりいつも大変そうにしていた。いつか英進堂もなくなってしまうかもしれない、そういう気持ちも抱いていた。でも、というか、性(さが)、というか、諸橋さん(英進堂店主)は二の句ではなんかこんなことを思った、とか、こういうことやってみたんだけど、とか、ずっとポジティブに活動しているようにも見えた。だから、移転のツイートを見たときに、閉店告知ではないことに心底安心して、だけれどもこの移転が簡単ではないことも感じ取って心配して、だけどなんとかしてしまうんだろうなという淡い期待と、今まで以上に、これからもっと英進堂で本を買いたいという気持ちになった。

“諸橋 どんどん売上が落ちていって。2012年の11月に店をやめるかって話が出て。ディベロッパーにも電話をして、店を小さくすることも検討したり、いろいろやったんだけど、結局もうすこしがんばってみるかと。周りに、「英進堂もうヤバいからやめるかな」と言ったら、誰も本気で相手にしてくれない。「くそーっ」とか思って(笑)。じゃあ一生懸命やろうと。
―― 一度危なくなって。持ち直したモチベーションは何だったんですか
諸橋 やってるうちに楽しくなってきただけ。もともと本屋は嫌いじゃないし。”同書、p.100

本屋は嫌いじゃないのだ、みんな、つらくても。

2018年8月3日(金)

ということなのだそうです。客観的には悪くない、というか、構造上は誰も損しないし海賊版対策という意義もわかるのだけれども、一般読者の投稿を許容するということは、ただのスキャンPDFでいいということで、じゃあ自炊業者だなと思ってみてみたら、ブックスキャンだと冊あたり100円だった。

8871冊で、88万7100円で、まぁもちろん実際はもっといろいろなコストがかかるわけだけれど、しかし。このコストのために、電子化して公表できないから、一般の、クラウドソーシングの向こう側に、クオリティコントロールを任せてしまうというのは。出版ってつまり、版を所有する、ということで、そこにはいままで色んな人、著者と編集者が、切磋琢磨しながら作ってきた原稿があって、それを今の世にどう問うか、絶版なら絶版で、復刊するなら復刊するで、版をより良く世界に問うていくための権利と責任を所有しているのであって、それをこんな簡単に他人に手放してしまって良いものなのだろうか。それこそ、出版社なんてセルフパブリッシングの時代には無用、ということを自分たちで助長してしまっているのではないか。だって、大切な版を守ってくれないわけなのだから。
そもそもの「マンガ図書館Z」のままで、当社は正式に協業しましたので、著者が自分でスキャンしてUPすることを、無条件に当版元は許容します。後押しもします。ただし「閲覧数に応じて手元に入る広告収入は、作者8割、同社と投稿者で1割ずつ分配」します。ということなら権利と利益の透明化が図られてすごく良いのだけれど。
積み重ねてきたものを大事にできないのはなぜなんだろうか。デジタルに対して、本は印刷物として「固定化されている」という意味で、すごく実のあるものを積み重ねてきているし、それこそが差別化や価値だと思うのだけれども。
夜が事務所の飲み会であったので、ビールばかりしこたま飲んだ。ビールはいい。

2018年8月4日(土)
朝起きると見知らぬ天井だった、というわけではないけれども、そこは見知った天井ではなくて、つまり昨日帰ってきてから布団に入らず寝たようだった。二日酔いということはなかった。ビールは偉大である。
今日から展示が始まるので、その準備のために消耗品を買いに出たところ、みんながよく言っていた「ひっつき虫」という、小さな粘着剤が本当に「ひっつき虫」という商品名だということに気がついてたいそう驚いた。コクヨは偉大である。展示も終えて店を開けると、たいへん来店が少なく、この暑さで日中で出歩くのは無理と自分でも思っているので納得しながら、延々と出荷の荷物を作って選書の作業をしていたところ、夕方になって一瞬10人くらいが店にいる瞬間があり、バランス、と思ったが、その時入ってきた人たちは全員何も買わずに帰っていった。むしろその前にずっと店内を見てくれていて、混んできたからなのか、人が増えたところですっと2冊買って出ていかれた彼、のことが申し訳なく感じられた。バランス。難儀だ。また来てくれるといい。
その後ANDONでのトークイベントに赴く。和氣正幸くんの台湾本屋ツアーの報告会で、僕は隣で合いの手を入れる係だったのだけれど、来てくれた人はとても台湾に詳しかった。本屋、というより、台湾、という感じで「台湾」というワードの影響力はすごいなぁと思いながら、本屋にフォーカスした話だけしていた。できないものはできない。できることはする。浮光書店ということろがとてもよかった。

2018年8月5日(日)
今日は展示に合わせて、作家のほしぶどうさんの来店日ということで、似顔絵を書いていただける日だった、のだが、いつもどおりというか、そんなに来店もなく、こういうときに店の間口がもっと広いといいのだがと思うのだけれど、もう今の段階では観念するしかなかった。ほしぶどうさんからは、近隣のお店情報をたくさん教えていただいた。
甲子園が開幕したようで、特番がやっていたのだけれど、甲子園名場面集みたいな、それを順位づけて紹介する、みたいな、番組だった。本当にどうでもいいというか、順位付けが嫌なのではなく、順位付けに意味がないものに、意味がない基準で順位をつけるのがいやで、だとしてCMの引きとか、視聴者をあきさせないために、みたいな理由でフォーマット化されているのだろうというところまではわかるため、なんかこう、フォーマットの改革!みたいなものがテレビ業界に待たれた、が待っているのは僕だけかもしれなかった。熱闘甲子園をすごく久しぶりに見たところ、長島三奈が出ておらず、おやっと思ってWikipedia氏に教えを請うたところ、もう2014年から出ていないようだった。ずいぶんと熱闘甲子園から離れていたらしいことが知れた。なので、甲子園よりも本のことを考えるべきかもしれなかった。ランク付けからの脱却は、こちらでも待たれているような気がした。

#READING
『業務日誌余白』(松本昇平、新聞化通信社)

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