離婚を決意してから自分を立て直すまで

前回の記事「社内失業からリモートワークを使って浮かび上がるための3つのステップ」が好評だったので、離婚についても話そうと思います。


結婚は人生の墓場?

いいえ、決してそんなことはありません。好きになった人と一緒の家に住み、同じものを食べ、記念日を祝い、子供が生まれ、育てたことは、幸せな人生の思い出です。

離婚を決めた妻の一言

つまり、離婚までの27年間が苦しみに満ちていたわけではありません。ただ40歳の少し手前くらいから、自分はこのままで良いのかと思い始めたのです。そこから仕事と育児のストレスが積み重なり、適応障害でついに僕は仕事ができなくなりました。中年の危機です。

仕方なくリハビリとして食事の後の洗い物を引き受けて、職場復帰を目指していた時に、妻が不機嫌そうに言いました。

「あなたが洗ったものは汚いからもうしないで」

不甲斐ない夫の姿に妻もイライラしていたのでしょう。僕も薬の副作用でフラフラしていたから、実際に洗い残しがあったのだと思います。ただ、その一言で僕は家庭にも居場所がないと思いました。そして、妻の気持ちを理解し、はっきりと離婚を決意しました。

14年計画

離婚は、子供が家を出てからと決め、それまでの10年間は仮面夫婦であっても続けようと考えました。これが正解でした。2人の子供たちは大学院まで通い、教育費が膨らみました。離婚について調べる中で、夫婦の貯金は半額ずつに分割されるということが分かっていたので、ここで収入を貯蓄に回さず教育費にほとんど注ぎ込んだことが離婚時の分割額を減らしてくれました。

分散していた銀行口座も一つにまとめ、それ以外にプライベートな口座をお互いに一つずつ残しました。毎月、給料が振り込まれる共用口座から一定額を引き出して妻に渡し、そこから僕は必要経費と小遣いを現金でもらうことで、お互いが家計の状況を把握できるようにしました。子供の学費も共用口座からです。その間に、妻の両親が亡くなり、遺産全額が妻のプライベート口座に入ったのも幸いでした。離婚後の妻の生活がこれで保証されたのです。

決断の日

下の子供の大学院卒業が決まった時、妻に離婚しようと切り出しました。これまでもタイミングを測って相談していたことなので、妻も反対はしませんでした。離婚の半年前から別居を始め、年金分割や将来もらえるであろう退職金を含めた資産の分割についてはメールで話し合いました。共有財産を減らしてあったことと、借家住まいだったことで、お金に関するトラブルは起きませんでした。退職金分は5年間の分割払いにして、毎月一定額払うことで妻の生活も破綻しないように配慮しました。計画的にできるだけ資産を減らしておくのは離婚をスムーズに進めるコツのように思います。ただし、そこから自分1人で資産を再建する計画も必要だと思いました。

快適な一人暮らし

社内失業でも書きましたが、ちょうどコロナ禍が始まって、在宅ワークが推奨されました。離婚したての家には、妻の私物と、子供たちの残していった山のようなゴミが残されていました。とてもじゃないけど暮らしやすい家ではなかったです。快適な在宅ワークとこれからの生活のために、まずこれらの処分から取り掛かりました。これがまた大正解でした。毎週粗大ゴミの袋をいくつも出して、部屋が片付くにつれ、暗かった心も少しずつ整理されていきました。古くなった家電も買い替えて、見た目も機能的にも快適な住環境になりました。部屋が綺麗だと、憂鬱とか焦燥感に取り憑かれていた心も少しずつですが回復してきます。家事も一人分ならそれほど苦にならず、リストラで減った仕事の代わりに在宅ワークしながらできる仕事になります。仕事部屋を片付けるのも立派な仕事ですからね。

まとめ

こうして、精神的に追い詰められ、仕事ができなくなった僕でも、離婚を利用して自分の生活を立て直すことができました。離婚によってさらに大きなダメージを負って破綻するリスクもあったわけですが、起業同様、自分にとってはプラスになる経験ができたと思います。

離婚をした場合、その後の生活が成り立つかどうかがとても重要です。僕の場合は、適応障害を職場で開示して、社内失業状態ではありましたが解雇にはならずに済みました。給料も最低限もらえるおかげで、退職金分の仕送りが完了した今は、節約すれば毎月貯金もできるようになりました。十分な時間をかけて計画し、できれば55歳までに離婚を実行すれば成功率も高くなると思います。この記事が、離婚を考えている人の参考になれば幸いです。

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