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げんこつハンバーグ

東京が9℃で風が吹いて寒い頃、静岡は13℃で陽があたたかい。ゲストハウスで東京から移住した地域おこし協力隊の人と出会う。黒豆ルイボスティーをご馳走してもらいながら、静岡について聞く。

彼曰く、静岡は恵まれているという。平地で陽が暖かく、昔から東海道が走っていて黙っても人が移動してお金を落とす。

一方、その上の長野はアルプス山脈が走っていて、雪が積もる。人が山を越えるのにも苦労する。人が住むためには、寄り付けない厳しさもある。

静岡が地元で20代の若手が、長野に移り住んだという。理由は静岡が恵まれていて、20代をそこで過ごすとサボってしまいそうだからという理由だそうだ。でもいつか静岡に帰りたいんだそうだ。

地域お越し協力隊の人も同じ危機感を覚えていた。3年間、自由に活動していいが、KPIも行動管理する上司もいない。活動費が、経費込みで480万が入る。

一方で私が知っている長野でユニークな活動をしている人は、行政の予算に頼ったりしていない。自分で考えて、自分たちで独自の経済圏を作っている。

ヨーロッパとアフリカ、アメリカの南北戦争、どちらが宗主国になっているかは歴史が物語っている。

どちらが正しい、悪いはない。どちらが合うか合わないか。人は自分の意思ではコントロールできない環境に適応する本能が備わっている。

私たちの脳には、苦痛に耐えて生き延びるための仕組みがたくさん用意されています。笑いも、そのひとつでしょう。

そしてやはり、「快楽に耐える仕組み」は存在しないのです。快楽は、身体的、認知的と、異なるレイヤーにおいて、あればあるほどよいと脳が錯覚するように仕組まれてしまっています。

「快楽」の沼から出られない脳――快楽だらけの現代でどう生きるか、脳科学者中野信子の提案

残り時間、どう生きるか。どこに住むか。130分待ちで赤身が残ったハンバーグを食べながら考えるのである。