あんたはここでふゆと死ぬのよ百人一首(後編)

ありがたいことに前編公開後、Twitterでけっこうな数の反響をいただき驚きながらも喜んでいる。というわけでその応援に応えるべく、後半も頑張って走っていきたいと思う。

漢字仮名の表記や解釈等は前編に引き続きこちらのサイトから引用させていただいている。こんなしょうもないおふざけに使わせていただき申し訳ないが、心から感謝している。今度京都行ったら小倉山荘のおかき買います。

この狂ったチャレンジが無事に終わったら、読者諸兄はサライを流したり、黛冬優子に興味を持った人はシャニマスをプレイしたり、百人一首に興味を持った人は『超訳百人一首 うた恋い。』に触れたりしてほしい。うた恋いのアニメはdアニメストアやバンダイチャンネルで見れるようだ。私は茅原実里さんの演じる「バリバリの才女!」って感じのオーラ全開の清少納言がめっちゃ好きである。
原作漫画も良いので、興味を持った方は是非一読していただきたい。

……では、前置きはこの辺にして後半を始めたいと思う。

51 かくとだにえやは伊吹のさしも草  あんたはここでふゆと死ぬのよ(藤原実方朝臣)

上下の連係がめちゃくちゃ美しい恋の歌。だったのだが、下の句をふゆが全部ぶち殺したので「言葉にできない、自分と引き換えにしてもいいくらいの殺意をあんたにぶつけんのよ!」という歌になってしまった。

52 明けぬれば暮るるものとは知りながら あんたはここでふゆと死ぬのよ (藤原道信朝臣)

明けない夜はない、そしてまた日は暮れて夜になる。そんな日々の営みを続けるための命を引きちぎってでもあんたを殺すという覚悟。

53 歎きつつひとりぬる夜の明くる間は あんたはここでふゆと死ぬのよ (右大将道綱母)

夜が明けるまでの束の間の逢瀬、その間は心中するくらいの思いをあなたに捧げます……というたいへん情熱的な恋の歌となった。

54 忘れじの行末までは難ければ あんたはここでふゆと死ぬのよ (儀同三司母)

「いつまでも忘れないという誓いの行く末までは分からない」という上の句から「だったらここで心中するのよ!」という熱い恋情を語る下の句へ。個人的に一番流れが美しいのはこれではないだろうか。

55 滝の音は絶えて久しくなりぬれど あんたはここでふゆと死ぬのよ (大納言公任)

京都の大覚寺で「名古曽滝」という滝を前に、その名前と「名前が流れる=忘れさられる」をかけた栄枯盛衰を詠んだ歌なのだが、たとえ己の名前が忘れられたとしても、あんたを殺すという意志だけは忘れないという殺意の高さに早変わりした。

56 あらざらむこの世のほかの思ひ出に あんたはここでふゆと死ぬのよ  (和泉式部)

「あらざらむ」の「ある」は「生きる」の意。つまり「もうすぐ死ぬだろうから、あの世へ持っていく思い出にあんたはここでふゆと死ぬのよ」であり、平安と言うより人形浄瑠璃にありそうな心中物の趣である。

57 巡りあひて見しやそれともわかぬ間に あんたはここでふゆと死ぬのよ (紫式部)

仇敵と思しき相手と巡り合ったが本人かどうかはわからない。だが、迷っている暇はないので刺し違える。人違いだったらとんだ迷惑だし死に損である。

58 有馬山猪名のささ原風吹けば あんたはここでふゆと死ぬのよ (大弐三位)

風が吹いてさらさらと笹の葉が鳴る中で告げられる「あんたはここでふゆと死ぬのよ」。T.M.Revolutionの「HEART OF SWORD ~夜明け前~」のイントロが流れ出しそう。

59 やすらはで寝なましものを小夜更けて あんたはここでふゆと死ぬのよ (赤染衛門)

「ぐずぐずして寝ないでいたら夜が更けてしまった」からの「あんたはここでふゆと死ぬのよ」、これが示すことは睡眠の重要性にほかならないし、誰かの睡眠を邪魔することは万死に値するということでもある。

60 大江山いく野の道の遠ければ あんたはここでふゆと死ぬのよ (小式部内侍)

下の句の「まだふみもみず」に込められた「まだ足を踏み入れていない」「まだ手紙も見ていない」の美しい掛詞が完全に消滅。「大江山アホみたいに遠いのよ、ムカつくから酒呑童子を殺してふゆも死ぬわ」になった。酒呑童子逃げて超逃げて。

61 いにしへの奈良の都の八重桜 あんたはここでふゆと死ぬのよ (伊勢大輔)

かつての都を飾った桜の花に思いを馳せつつ、時の移ろいと命の儚さを意識させながら殺意を発露させる、これも王道と言って良いだろう。

62 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも あんたはここでふゆと死ぬのよ (清少納言)

「そら音」とは鳴き真似のこと。ロケで泊まりの夜に、いきなり鳥の鳴き真似をして睡眠を邪魔したあさひにキレた時に詠まれた歌であろう。

63 今はただ思ひ絶えなむとばかりを あんたはここでふゆと死ぬのよ (左京大夫道雅)

「今となってはもう、あんたへの想いはあきらめたということだけを」という上の句を経てどうするのかと思っていたら心中を突きつけてくる。まこと平安の恋は地獄である。

64 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あんたはここでふゆと死ぬのよ (権中納言定頼)

あんたはここでふゆと死ぬのよ百人一首の定番、川バトルである。今回は朝靄のただよう宇治川というシチュエーションで、少し幻想的な雰囲気がをかし。高畑勲監督でアニメーションにしてほしい。

65 恨みわびほさぬ袖だにあるものを あんたはここでふゆと死ぬのよ (相模)

「恨む気力も失って、泣き過ぎて涙を拭く袖が乾かないことさえ悔しいので」からの「あんたを殺してふゆも死ぬわ」という展開。最後の気力を振り絞って相手に一矢報いようとする覚悟が泣ける。

66 もろともにあはれと思へ山桜 あんたはここでふゆと死ぬのよ (前大僧正行尊)

山桜に「一緒に愛おしいと思って頂戴」と語りかける上の句。ここで一緒に死ぬのよと仇敵に語りかける己を憐れんでくれという思いか、はたまた愛しい相手と命が尽きるまでの僅かな時間を共にあるという覚悟を理解してくれという思いか。どちらの解釈でも込められた情念が胸を打つ。

67 春の夜の夢ばかりなる手枕に あんたはここでふゆと死ぬのよ (周防内侍)

手枕というのは腕枕のことなので、これはもう完全にイチャラブピロートークです。「あんたはここで(こんな風に日々と夜を重ねて)ふゆと死ぬのよ」……最高ですね。

68 心にもあらでうき世にながらへば あんたはここでふゆと死ぬのよ (三条院)

あのとき死ねたらどんなに良かったかと思いながら生きながらえてきたけど、ここで仇敵に巡り会えたのだから意味はあったしここで刺し違える。そんな己の生を噛みしめるような一首。

69 あらし吹く三室の山のもみぢ葉は あんたはここでふゆと死ぬのよ (能因法師)

川に比べるとちょっとめずらしい山というロケーションですが、嵐に吹かれて散る紅葉の中で決死の覚悟を固める冬優子、という構図は美しいの一言。

70 寂しさに宿を立ち出でてながむれば あんたはここでふゆと死ぬのよ (良暹法師)

心中するために旅に出て、寂れた温泉宿に泊まった夜。ふと宿を出て「ここで二人で死のうかな」という気持ちになる。そんな寂しさと身を焦がす情念、これかなり好きかもしれない……

71 夕されば門田の稲葉おとづれて あんたはここでふゆと死ぬのよ (大納言経信)

夕方になれば家の前にある田んぼの稲の葉が音を立てる……という上の句は平穏の象徴として読んで良いでしょう。「そんなあんたの平穏をぶっ壊して命を奪ってやるわ!」という決意とも取れるし、「ここでこんな平穏な日々を過ごして死ぬまで一緒に居ましょうね」という愛の歌にも取れる。

72 音にきく高師の浜のあだ波は あんたはここでふゆと死ぬのよ (祐子内親王家紀伊)

「あだ波」とはむなしく寄せては返す波のことなので、上の句は報われない思いを歌ったもの。「どうせ報われない恋ならば心中して一緒に居ましょうね」という愛の重さが伺える。浜辺というシチュエーションも相まって、好きな人はめっちゃ好きそう。

73 高砂の尾の上の桜咲きにけり あんたはここでふゆと死ぬのよ (権中納言匡房)

上の句の「高砂の尾の上」(遠くの山頂)と下の句の「外山の霞」(人里近い山にかかる霞)の対比が美しい一首だったが、「遠くの山で桜が咲いたわよ!さあ死ね!!アタシも死ぬ!!!」になり情緒もへったくれもない。

74 うかりける人を初瀬の山おろしよ あんたはここでふゆと死ぬのよ (源俊頼朝臣)

「うかりける」とは「オーディション合格したわ!目にもの見せてやったわよ!あーっはっは!」とかそういうのではなく、「つれなかった」という意味。初瀬とは仮面ライダー鎧武の登場人物ではなく山の名前。したがって、「つれなかったアンタが初瀬の山から吹き下ろしてくる嵐みたいに思いをぶつけてくるようになったわね、そんなアンタとなら激情を抱えて一緒に死んでもいいかも」という激しい恋の歌である。

75 契りおきしさせもが露を命にて あんたはここでふゆと死ぬのよ (藤原基俊)

上の句は「よもぎの草に落ちる露のように、あんたとの約束をありがたがって大事にしていたのに」という意味。裏切られた報復を込めてあんたを殺してふゆも死ぬ、という哀愁が見える一首。

76 わたの原漕ぎ出でて見れば久かたの あんたはここでふゆと死ぬのよ (法性寺入道前関白太政大臣)

久々の「冬優子と船出したら即死」シリーズ。「久かたの」は下の句の「雲ゐ」にかかる枕詞だったはずなんですが、ふゆがぶち殺したので存在自体が無意味になってしまいました。

77 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の あんたはここでふゆと死ぬのよ (崇徳院)

元の歌は「運命の悪戯で別れたとしてもまたいつか会おう」と恋人に語りかけるものだったはずが、こうなるともはやライヘンバッハの滝にモリアーティ教授と共に落ちていくシャーロック・ホームズみたいである。書くのがだるくなってきたのでホームズを殺したコナン・ドイルよろしく、ここでこの百人一首を終えてもよいかという投げやりな気持ちになってきたが、もう四分の三終わってるのでもうちょっと頑張りたい。

78 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に あんたはここでふゆと死ぬのよ (源兼昌)

たぶん明石海峡大橋の上でバトルしてるなこれ。空の境界の「痛覚残留」みたいになってきたな……

79 秋風にたなびく雲の絶え間より あんたはここでふゆと死ぬのよ(左京大夫顕輔)

雲の切れ間から冬優子が出てきて殺す。ニンジャスレイヤーみが強い。

80 ながからむ心も知らず黒髪の あんたはここでふゆと死ぬのよ (待賢門堀河)

「末永く変わらないと言ったあんたの心がもうわからなくなったので、この黒髪を振り乱しながらあんたを殺してふゆも死ぬ」。ヤンデレの教科書があったら載せたいレベル。……というか能の演目にこんなやつありそう。

81 ほととぎす鳴きつる方を眺むれば あんたはここでふゆと死ぬのよ (後徳大寺左大臣)

ほととぎすが鳴いている方をふと見たら冬優子が出てきて殺される。これもニンジャスレイヤーの風情がある。

82 思ひわびさても命はあるものを あんたはここでふゆと死ぬのよ (道因法師)

思い悩んだとしても命はまだ残っているというのに、その命を散らしてあんたに引導を渡すわ……という悲しき宿命の歌。ほんとこういうの似合うな黛冬優子。

83 世の中よ道こそなけれ思ひ入る あんたはここでふゆと死ぬのよ (皇太后宮大夫俊成)

「事態を打開する決定的な方法が無いからこそ思い悩むのが世の中というもの……」という厭世観ただよう上の句から、だったらあんたもふゆも死ぬのよ!!!というヤケクソ感の温度差が凄い。死は救済なんだよなあ。

84 ながらへばまたこの頃やしのばれむ あんたはここでふゆと死ぬのよ (藤原清輔朝臣)

「この先ずっと生きながらえれば、今この時を懐かしく思い出すのだろうか」という上の句からのあこ死。これは「そんな時間を重ねてあんたはここでふゆと死ぬのよ」と解釈するのが美しい気がする。

85 夜もすがらもの思ふ頃は明けやらで あんたはここでふゆと死ぬのよ (俊恵法師)

夜通し思い悩んでいると朝が来るまでが長く感じられるので、ふゆのことをこんなに悩ませるあんたを殺してふゆも死にたい……こんなにも冬優子に思われる幸せなやつはいったいどこのどいつだ。

86 なげけとて月やはものを思はする あんたはここでふゆと死ぬのよ (西行法師)

嘆けといって月が私の心を思い悩ませる、けれどもその悩みを断ち切ってあんたを殺してふゆも死ぬ。下の句の決意が上の句の情緒をふっとばす、ある種あんたはここでふゆと死ぬのよ百人一首における様式美といえる。

87 むらさめの露もまだひぬまきの葉に あんたはここでふゆと死ぬのよ(寂蓮法師)

にわか雨が上がってまだ葉に落ちた雨粒も乾かない中でのラストバトル。P.A.Worksの美しい背景美と演出で拝みたい光景である。

88 難波江の芦のかりねの一夜ゆゑ あんたはここでふゆと死ぬのよ(皇嘉門院別当)

上の句の意味するところは「たった一夜限りの逢瀬」なのですが、そこから心中に持っていこうとするところに愛情の重さが伺えて素晴らしい。

89 玉の緒よ絶なば絶えねながらへば あんたはここでふゆと死ぬのよ (式子内親王)

「玉の緒」とは「命」を指す言葉。したがって、「私の命など耐えるなら耐えてしまえ。長生きしていると殺意が弱まるのでそうならないように、あんたはここでふゆと死ぬのよ」という強烈な殺意を詠んでいることになる。冬優子ほどの強い意志力の持ち主でも、その意志が鈍ることを恐れるというのは、なにか感じいるところがないだろうか。

90 見せばやな雄島のあまの袖だにも あんたはここでふゆと死ぬのよ (殷富門院大輔)

雄島とは日本三景の一つ、松島にある島のひとつだそう。風光明媚な土地に連れて行ってあんたを殺す、というニンスレ世界のハイクに通じる和の伝統を強く感じる一首。

91 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに あんたはここでふゆと死ぬのよ (後京極摂政前太政大臣)

虫の声が聞こえる秋の夜長、というのは風情があって良いものですが、そこに現れた冬優子にあんたはここでふゆと死ぬのよされるのも、また風情があって良い。清少納言が見たら喜びそう。

92 わが袖は潮干にみえぬ沖の石の あんたはここでふゆと死ぬのよ (二条院讃岐)

この時代ハンカチなんて無いので、「袖」と言えば涙を拭くものと思っておいて間違いはない。従って、「潮が引いても見えない海中の石くらい涙で濡れてる」というのが上の句の意図である。そんな湿度高めの上の句から、その感情を殺意に転換してぶつけてくるのが下の句である。雨のち晴れ!

93 世の中は常にもがもな渚こぐ あんたはここでふゆと死ぬのよ (鎌倉右大臣)

世の中がいつもこんな風に変わらずにあってほしい、そんな幸せを噛み締めながら波打ち際をゆく船に揺られていると突然殺意が襲ってくる。一緒に船に乗ると相手を殺したくなる発作がこの世界には存在するようだ。

94 みよし野の山の秋風小夜ふけて あんたはここでふゆと死ぬのよ (参議雅経)

この百人一首の常道である「上の句の情景描写からの下の句の殺意」という型のお手本のような一首。「秋風小夜ふけて」という哀愁漂う言葉選びが絶妙。

95 おほけなくうき世の民におほふかな あんたはここでふゆと死ぬのよ (前大僧正慈円)

「おほけなく」とは「身分不相応な」という意味。「分不相応な願いだけど、ふゆを含めたこの世に生きる民すべてを死という救済で包み込んでやるわよ!」という、一対一の関係に拘泥せず周囲全てを救済の対象として見ることが出来るようになった冬優子の成長が伺える。

96 花さそふあらしの庭の雪ならで あんたはここでふゆと死ぬのよ (入道前太政大臣)

花が儚い命の象徴であるのは勿論なので、「あんたを花みたいに散らすのは吹き荒れる嵐ではなくふゆ自身よ」ということになる。トリミングが上手な相場くんもイケメン松潤もパズドラオタク二宮くんもリーダー大野くんもキャスターやってる櫻井くんも、決意を固めた黛冬優子には勝てないのである。

97 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに あんたはここでふゆと死ぬのよ (権中納言定家)

「一緒になれないならせめて一緒に死にましょう」と約束した相手は夕方になっても来ない。来たら絶対に一緒に死ぬのに……という裏切られた側の切ない心情が「夕なぎ」という言葉に込められている。

98 風そよぐならの小川の夕暮は あんたはここでふゆと死ぬのよ (従二位家隆)

川でのバトルに定評がある黛冬優子を最終盤でもう一度。夕暮というワードにこめられた哀愁も、黛冬優子川バトル名勝負シリーズの締めくくりとして味わい深くて良い。

99 人も惜し人も恨めしあぢきなく あんたはここでふゆと死ぬのよ (後鳥羽院)

ここの「惜し」は惜しむというよりも「愛し(をし)」すなわち愛おしいと解釈をするようだ。「人を愛し、人を恨んでを繰り返す味気ない人生なら、あんたを殺してふゆも死ぬわ」という厭世観が伺える。これはバッドエンド。

100 百敷や古き軒端のしのぶにも あんたはここでふゆと死ぬのよ (順徳院)

「百敷」は金ピカのモビルスーツではなく「宮中」を表す。したがって上の句は「宮中の古びた屋根を眺めて昔のことを思い出す」という意味であり、アイドルとしての栄光が過去になった時点に詠まれた歌であることが伺える。そこに込められた思いは、「栄光がすべて失われたなら生きていても仕方ないのであんたを殺してふゆも死ぬわ」なのか、「栄光が全て失われたとしても、最後までここであんたはふゆと一緒に生きて死んでくれる?」なのか。その解釈は、どこかの未来でアイドルとしての黛冬優子の物語が閉じられ、相応の時を経た頃に確定するだろう。


……というわけで、ここまで前後編あわせて全百首をご紹介してきた。あーしんどかった。
ここまでの愚行で、黛冬優子というキャラクターの持つ情念の重さ、熱、そうしたものが平安の歌人たちの詠んだ感情に不思議とシンクロするところが見えてきた。日本人の持つ季節のものを思う風情、あるいは恋心といったものは、遠く平安朝華やかなりし頃から連綿と受け継がれてきたということなのかもしれない。
奇しくもアイドルマスターシャイニーカラーズは、華やかなイラスト、可憐なアイドルの描写の中に、複雑で多様な感情が透けて見えるコンテンツである。そうした部分は、平安の歌人たちの読む歌の世界に不思議と重なるように思える。読者諸兄もシャニマスをプレイするときは、そこに込められた感情の数々を通して、平安の歌人たちから現代のアイドルまで連綿と続く「やまとごころ」に思いを馳せてはどうだろうか。


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