人とは、川ほど浅く言えばヒトデ状態の生き、動いているもの。基本的には、4つの蠢く柔らかい棒状の肉を持ち、さらにその奥には5本の二周りか三周りほど小さいこれまた蠢く棒状の肉が着いており、これにより広い可動、身勝手な動きをできるとしている。
そしてヒトデの上(ここでは、ヒトデの置き方はその脚の向きが、上、右上、右下、左下、左上とする)のところには、知覚を司る大事な臓器、その一般動物から抜きん出た賢さが可能。
だが、その臓器の性能、争いが尽きない(戦争、競争、妬み、嫉妬、恥、常識)。
さらに人には雌雄が存在しており、単独での繁殖は不可能。
しかしここで困る。これまでに挙げたものには必ず「例外」が存在する。例えば、棒が一つや二つ、三つ、全てない人もいるし、知能が追いつかない人(年相応の動きができない)。繁殖に必要な雌雄さえも、脳の勘違いからか、私は男だ、俺は女だ、男女平等、マイノリティに人権を。何をしているのか。
生き物の目的は「恋」や「愛」ではなく、「繁殖」ではなかったのだろうか。そもそも繁殖が上手いことになるように雌雄が存在するというのに、そこを否定したら、駄目だ。と思う。

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