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【ネタバレ】映画「すずめの戸締まり」~感想をつらつらと~

 正直、「天気の子」や「君の名は」は全然はまらなかった。というか、「君の名は」に至っては、内容がほとんど思い出せない。そんな人にも本作は面白いと思うと勧められたので、その言葉を信じて映画館で鑑賞。
 以下、いきなりネタバレするので、未鑑賞の人はお気をつけあそばせ。

 映画を見ているときは、ダイジンは要石の座を降りて草太に役割を押し付けたのに、最終的にはダイジンが要石に戻るというのが、「この猫、勝手すぎんか…神様の気まぐれなんか…?」と思っていたが、映画を見終わってしばらくしてから、ダイジン―すずめの関係性、すずめ―叔母さんの関係性の繋がりに気が付いた(遅い)。
 すずめはダイジンを勝手に引っ張り出して「うちの子になる?」と聞いておきながら、ダイジンが勝手気ままに(見える)全国を飛び回ると辟易し、草太が要石として封じ込められてしまうと「大嫌い」と怒りをぶつける。
 これは、叔母さんが、震災で孤児となったすずめに「うちの子になる?」と言い、すずめが勝手気ままに全国を飛び回ると、自分がどれだけすずめのために生活を犠牲にしてきたかと怒りをぶつけるのと同じで、関係性の再現だろう。
 ただし、叔母はすずめに、「それだけじゃない」とも告げる。ただ犠牲の上に成り立っていただけではないことはすずめにも十分に伝わっていて、だからこそ本当の親子のようにぶつかりあうこともできるし、仲直りだってできる。

 一方、すずめとダイジンや、すずめと草太の間にはどれだけの絆があるのだろうか、と思ってしまう。「天気の子」でも思ったが、関係の深まり方が急だ。映画館でもらった「新海誠本2」を見て知ったのだが、この物語はたった5日間の話だそうな。関係性に日数は関係ないのかもしれないが。
 結局、ダイジンはすずめのために自分を犠牲にして要石になる。すずめは、たまたまダイジンを引っこ抜いて自由にしてあげただけであって、すずめがダイジンにしてあげたことって一体何…。
 草太とすずめの関係性もまた薄っぺらく感じてしまう。確かに二人だけが共有する特異的な体験があるというのは、他の人間関係にはないものがあるのだろうが、別に恋仲にしなくても良いだろうに。まあこの点については、映画だし、ファンタジーだし、とか色々な理由をつけて自分を納得させている。

 この映画を被災者の方が観てどう感じるのかはわからない。偽善な感じがするのだろうか。個人的には、最後に幼少期のすずめに、未来のすずめが、それでも光はやってくるのだと説くシーンに素直に希望を感じた。震災に限らず、生きている以上、どんなにつらくても生きていくしかできないし、どんなにつらくても大なり小なり光がやってくる。そう断言してくれたことがとても心強く思えた。

 背景知識の有無などによって、見方が全然違ってきそうなので、他の人がどんな感想を持つのかとても気になる作品である。
 とりあえず私は「君の名は」を見返そうと思います。

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