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じぶんなりのブッダ

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ブッダのことばをじぶんなりに受け止めてみます。
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2020年6月の記事一覧

ただ心から悪を退ける強さを持ち続けることだ

ブッダのことば 『報い』 悪をした報いがまだ熟すまでには、なにか幸いなことも起こるかもしれない。でもそれが熟した時には我が身を振り返ることになる。 善をした報いがまだ熟すまでには、なにか災難なことも起こるかもしれない。ただそれが熟した時には幸せは舞い込んでくる。 自分にその報いはないだろうと悪を軽く見てちゃいけない。水が一滴ずつしたたるだけでも水瓶はいずれこぼれるように、悪を重ねているといずれ災いが降り注いでくる。 自分は報われないだろうと善をあきらめるべきではない。

迫ってくる悪を振り払うには、善に向かって走り続けることだ

ブッダのことば 『悪』 善に向かって急ぐのだ。 悪に心が呑まれるのを避けないといけないから。 善をするのにのろのろとしていたら、悪に心は呑まれてしまう。 人が何かわるいことをしていたら、自分が同じようにしていてはいけない。悪が積み重なるのはただ苦しみを重ねるだけだから。 人が善いことをしていたら、自分も同じようにした方がいい。善が積み重なるのはそれだけで楽しいことだから。 迫ってくる悪を振り払うには、善に向かって走り続けることだ。

今生きる一日を大切にし、大切なものを見出だし何のために生きれるかを考え続けること

ブッダのことば 『千よりも一を』 役に立たない言葉を千回説くより、聞いて心が静まる言葉を一回聞いた方がいい。 役に立たない本を千冊読むより、聞いて心が静まる本を一冊読んだ方がいい。 どうでもいいようなことにいくらも耳を傾けるより、大切にするべきことがある。 どうしようもなく堕落して百年生きるより、世のため人のために一日を生きる方が優れている。 大切なことを見失い迷いながら百年生きるよりも、本当に大切なものを理解し一日を生きる方が優れている。 この先なにも考えずただ

ただ自分のしたこととしなかったことを見てみることだ

ブッダのことば 『過失』 誰かの過失ばかりを見ているのはよくない。 誰かのしたこととしなかったことを見ていても仕方がない。 ただ自分のしたこととしなかったことを見てみることだ。

賢い人は、この世界で縛られるものはなく自由に解き放たれている

ブッダのことば 『賢い人』 自分の過ちを指摘してくれる聡明な人が現れれば、その人に付き従うといい。それは財宝のありかを伝える案内人のようなもの。 そういう人についていくと善いことばかりで悪いことがない。 善いことを相手に伝えるようにしよう。その人が悪に向かないように。そうするとその人の周りには善い人が集まり、悪い人は遠ざかる。 正しい生き方を楽しむ人は、心が清らかに安らかでいられる。さらに賢い人は生き方を学ぶことをいつも楽しんでいる。 水道を作る人は水を導き、大工さん