心が考えることを拒否した「陽性反応」

4月16日発売

の「はじめに」を掲載します。

※長いので何回かに分けます&改行なども、
noteに合わせて調整しています。

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「陽性反応」(はじめに)

2019年の1月に、妊娠がわかりました。妊娠判定の陽性が出た時は、「噓だ」と思いました。なんと言っていいのか……すべてが理想と違ったのです。

子作りを始めて半年たって、妊娠検査薬の結果を見るのが怖くなっていた頃だったので、1回目の妊娠検査薬の陽性反応は、信じられなくて誰にも見せずに捨てました。待望の妊娠だったはずなのに、いざそれが現実になると「これからすべてが変わってしまう。果たして自分は本当に心の準備が出来ているのだろうか」と改めて覚悟を突きつけられるようで、心が考えることを拒否したのかもしれません。

陽性反応を見て、100%幸せな気持ちで、夫と一緒に、「やったー!」と叫ぶ日を毎日のように夢見ていたのに……。実際は自室でしんみりと確認し、検査薬を箱に戻して丁寧に捨てました。翌日、もう一度検査すると、やっぱり陽性だったので、ようやく「これは妊娠しているのかもしれない」と信じることが出来て、そこから脳みそがじわじわと「妊娠」を受け入れていった気がします。

それまでは、毎月生理が来るたびにがっかりして、謎の罪悪感にかられる自分の心にクッションを作るために「長くかかるかも……」という方向に脳みそを固めていました。だから、頭と心を真逆の方向に向かわせるためには、陽性反応をパートナーにさえ見せずに、一人で向き合う時間が必要だったのかもしれません。

健康な夫婦でも自然妊娠は1年は見たほうがいいと言われているので、約半年で出来た私たちは今振り返ってみると早いほうだったと思います。けれど私の妊活は、体のトライを始めるずっと前から始まっていました。周りの友人――特に仲良しなメンバーたち――が次々と妊娠・出産し、彼女たちのSNSが子育て中心になっていくのを見て、気持ちが先走っていた分、焦りも大きかったのです。

子供はいつか欲しいとずっと思っていたけれど、20代のうちは、なかなか「今だ」と思える時期はありませんでした。いつだって出産も子育ても「あと少し先」にあって、どこか夢のような想像の域を出ることはなかったように思います。でも、たまにSNSで、同級生たちの「上の子が小学校に入学★」とか「今日は遠足のお弁当を作りました!」なんて投稿を見てしまうと、夏休みの宿題を私だけがしていないような……やるべきことを後回しにしているような不安に見舞われることがありました。別に子供を持たないことは悪いことではないし、それぞれにとっての「自分のタイミング」があることもわかっているはずなのだけれど、同時に体の機能のタイムリミットや子供の頃に思い描いていた幸せな家族像が頭をよぎるのでした。

そんな私がやっと「今だ」と思ったのは2017年の夏。長い間の夢だった純文学小説の単行本(『通りすがりのあなた』講談社)


の発売を1ヶ月後に控えて、「私の人生の次の目標はなんだろう?」と改めて考えました。新卒で入った広告会社に2年強。転職先のベンチャー企業で3年弱。合計約6年の会社員生活を経てフリーランスになった私は、独立してから「SNSを仕事にする」「テレビにたまに出る」「都内に住む」「エッセイを出版する」など、20代で漠然と持っていた夢を、すべてとまではいかなくてもそれなりに叶えることが出来ていました。なかでも純文学デビューは長年の夢だったこともあり、その実現がようやく見えた時、「そろそろ仕事以外で人生の力点になるものが欲しい」という気持ちが猛烈に高まりました。それが私にとっては子供だったのです。(つづく)

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