【創作】東京物語

これは私が出会ったとある人の話。

その男の人はみんなの人気者でした。まだ若くして、自分で望んでいた以上の
栄光を掴みました。

彼のつくった音楽は時代の空気に合っていて、人々の心を魅了したのです。数か月前まで、ただ時間をつぶすために見ていたテレビ番組に、気が付けば、自分が毎日出るようになっていました。何が起こるかわかっている番組を、自分では見なくなり、テレビはだんだんとほこりをかぶるようになりました。

外に出ると、オンラインでもオフラインでも、好意的な言葉をシャワーのように浴びました。

大好きだったアイドルに、テレビ局ですれ違ってどぎまぎしていたら、向こうのほうから駆け寄ってきて、「大ファンです」と言われることもありました。

街を歩くと、人垣が出来てしまうので、外に行く時は必ず、メガネと帽子をするようになりました。

毎日が、夢みたいな日々でしたが、心のどこかではすごくすごく不安でした。こんな夢みたいなこと、そんなに長く続くはずがありません。お金だって、今までにないくらいあるけれど、どうやって使っていいかわかりません。下手に使うと、罰が当たるような気さえしてきます。

ある日を境に、みんなが、自分に興味を無くすかもしれない。自分のつくる音楽も、誰にも聞かれなくなるかもしれない。そのある日が来るのが怖くて怖くてたまりません。

どんなにお金が入ってきても、どんなに人が集まってきても、不安な気持ちはなくなりませんでした。

時には、こちらの世界で起きていることは全て夢で、きっと本当の自分はまだ、ふとんの中にいるんだと、空想しました。

お風呂の中では、毎晩湯船にもぐりました。そうすると、水の音しか聞こえなくなって、昼間の喧騒が嘘みたいに思えました。

気を紛らわす方法は他にもいくつかありましたが、だんだんと夜が怖くなっていきました。一人で寝ていると、世界に置いてきぼりにされたような気がしてくるのです。

だから、誰かと一緒にいようと思いました。それも、出来るだけ多くの人と。

六本木や西麻布、そして新宿には、時間を忘れさせてくれる場所がたくさんありました。そこに行くと、誰かしら知り合いがお酒を飲んでいました。一番売れている人がおごる、というルールだったので、何回かに一回、彼はお店にいる人みんなの食べたり飲んだりした分を支払わなくてはいけませんでした。

お金には困っていないので、別にいいのですが、知らない人たちはお酒やご飯をご馳走して貰っても「ありがとう」とは決して言いませんでした。それがあたりまえみたいな顔をしていました。

お酒を飲んでも、ご飯を食べても、歌っても、笑っても、いつも不安がありました。そして、何より自分が未来に向かって進んでいることの実感が持てませんでした。自分は今日、誰かを幸せに出来たのか。昨日より少しでも成長できたのか。命をただ消費しているだけではないのか。

前に進んでいる実感が無く、少しずつ延命治療だけをしているような毎日。自分の人生が、そんな風に思えてきました。

お酒の量はどんどん増えて、顔はいつも茶色く、吹き出物が出来るようになりました。ある日、化粧では隠しきれない大きな大きなニキビが出来てしまったので、皮膚科に行きました。

皮膚科で出会った看護師は、たいそう心配してくれて、他では出さないという軟膏をくれました。

男はその看護師に恋をしました。その感情を、自分だけで持っておくのが不安だったので、2度目の訪問の時に正直に彼女に告白しました。

「疲れているんですね」と彼女は言いました。「疲れてるんです、きっと。あなたのように有名でお金持ちな人が私を好きになるはずがないから」

男は悲しくなり、いつもの飲み屋に入りびたり、馬鹿騒ぎをして我を忘れることにしました。どうでもいい女が彼にすり寄り、物欲しそうに見てくるので、彼女たちの望みどおり、夜は毎晩誰かを家に連れて帰りました。男にとって彼女たちは名前の無い存在でした。

そんな生活を繰り返しているうちに、いつしか彼はそれが自分だと思うようになりました。

今も彼はそれが自分だと思って暮らしています。

そんな男の人が星の数ほどいて、毎晩毎晩命をすり減らしているのが、この街、東京なのでした。

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