「選択する」ことを大切にするまでの話

🦘
ちょっと振り返り。
「選択する」ことを大切にすることに気づくきっかけのはなし

3.11のとき、自分がその場にいたらと考えただけで小6だったけど夜寝れなくなるし、ずっと不安だな、現地の人辛いだろうなと思いながら、何もできなかった。

今も大きなことはできないから、小さいことを地道に積み重ねていきたい。これは今だけに限らず普段の生活から、仕事でもプライベートでも、行動するか迷ったらやりたいなって思う。

自分の意思を意識的に大切にしていくことを去年から頑張ってみて、ようやく少しずつできることが増えてきた。

誰かに縋る自分より今の自分のが楽だ。

当時は誰かに肯定してもらわなきゃ心が崩れちゃってたと思うので、その時の自分も足掻いてたからそれはそれで頑張ったとは思うけど、
結局自分の心を前に向けるのは自分の意思で何かを決めた時だととても感じた。

でもやっぱりそれに気づくのも、自分と向き合わないとできないことだと思った。


今思うと院1年生のとき

本当に経験したことない気持ちになった。
本気で名案かのように、自分はいらない、誰かに自分をあげれたら楽だと思った。そう考えた時、絶対解決策にはならないけど、自分を誰かにあげる方法を考えた。ちょっと頭やばめなこと言ってるとは思ったから、1人にしか言わなかったけど、本当にそう思った。

すごく考えたけど、死を選ぶほどの勇気もないから生き地獄だとも思った。ずっと寝てられたら楽だけど、寝ようと思ってもどん底な気持ちが邪魔して寝れない。
どんな心持ちで生活していたか忘れてしまった。
何も考えずにみんな生きてるのかな?それとも、考えつつ乗り越えてるのかな?だとしたらわたしにはできないと思った。

それに今までの自分がどう考えて生きてたか忘れちゃったから、心を元に戻すにはどうすればいいかもわからなかった。

言葉で言うには難しい。自分のやったことに対して誰かに認めてほしかったんだと思う。

涙も出ず、嬉しい気持ちも消えてって感情がぽかーんとした。

友達の前では、自然と笑顔がでる。たぶん愛想笑いみたいなやつ。だから、楽だった。自分と向き合うより相手に合わせた態度をとってる方が楽だから。

大学院を続けるには病院へ行くよう母さんから言われたから、心療内科へ初めて行った。もらった抗うつ剤も自分には合わず、飲むのを勝手にやめた。

教採も終わり、いつも通りの相手に合わせるだけの私で友達と話した。友達は、私に対して嫌な顔をして、「なんで自分は自分なのに人と比べるの?」って聞いてきた。

本気で聞いてくれたけど、わからなかった。
馬鹿にされたり、邪魔に思われたり、相手に受け入れてもらえなかったりする自分を勝手にだめな人間だと思い込んでた。

それは勝手な他人の評価に過ぎないのに。
自分は自分なのに、自分がいちばん自分のこと分かってなかった

自分のことを知るために、
自分のいいところと悪いところを母さんに書いてもらった。周りの人がみてる私を知ること。あと、友達に聞いた。
そして、自分がこれまでどう生きてきたか、マインドマップを書いてみた。
それを見て気づいたことを、まず自分の中で整理した後にだいぶ恥ずかしいマインドマップだけど、客観的な意見をもらうために友達に見せた。
そしたら、「だれかが何かをしてくれた、って書いてあることが多いね」と言われて、私は周りの人の言葉で自分が行動することが多いことに気づけた!
だから、今度は自分の意思で動くことに決めた。

いきなりは無理なので、
「もっとわがままに自己中に」「自分を褒める」ことに徹した。
周りがどう思うかなんてしったこっちゃねえくらいに思って生きること!
私は自分を大切にしてくれる人と生きていく!と思って自分にとったら苦手な相手(上からものを言う人)とは極力付き合うのをやめた。最低限で関わる。優しくなんてしてやんない。
これが自己中モード。
自分の気持ちに素直に。

そしてこの後に出会う尊敬できる先輩からの言葉で、明確に「選択する」ことを意識することができた。
お店のメニューを見て、何を食べようか自分で決めて自分が決めることから。小さな選択の積み重ねをすることにした。
そして、今と自分を満たすことも大切にするといいことを教えてもらった。

今は眠たくなったり、ご飯食べたいと思うこの気持ちがあるだけで最高に幸せ。

いつか自分のことを考えることに慣れたら、周りの人を支えることのできる人にもなりたい!

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