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ゲーセンが僕の学生時代全てだった話


はじめに

タイトルからクリックして頂いてこれを読んで下さる方は
きっとゲーセンに関わりがある(あった)方だと思います。
僕の学生時代はゲーセンが全てと言っても過言ではありません。
久しぶりに音ゲーをがっつりやったら、あの頃の気持ちが色々蘇ってきて
忘れないうちに色々書きたいなと思い、今回の記事になりました。

完全な自己満足の備考録みたいなもので、痛いポエムかと思いますが
あーそういえばそんな感じだったよねーとか
へー昔のゲーセンってそんな感じだったんだーとか
何かしら共感できるものがあったらojisanは嬉しいです

僕がゲーセン常連になった訳

2000年代半ば、高校生になった僕は埼玉県からとある東京の私立高校に
通う事になった。
入って感じたのは、地元の中学生の頃と違う空気感による息苦しさ。
表面上の付き合いみたいな感じで、楽しく無いけど笑っとけみたいな空気。

そんなモヤモヤの中、電車通学だった自分の地元駅からの通路直結で新しいゲーセンがオープン。
たまたま高校の友達とボーリングに行った際にノリで買ったドラムマニアの磁気カードがあり、あったらやろうかなぁ位の感じで覗きに行った。

駅前のお陰か夕方の音ゲーコーナーは学生ばっかりで大盛況。
ドラムマニア(多分当時10th mix)も見つけ
前の学生のプレイも見つつ並んでた。
ノーカードでやってて上手い人でも無く、
これなら次やっても恥ずかしくないとか謎の安心感に浸ってた。

そしたら僕の後ろにちょっと威圧感高めな学生が並んできた。
後にこの学生が現在まで続く親友になるとは思っても無かった。
その人と話してた友達が他の音ゲーをやっているがメチャメチャ上手い
前の人も終わり、自分の番になったがチキン全開で順番を譲ることにした
え、いいの?って言われたけどダチョウ俱楽部ばりのどうぞどうぞで譲る

案の定メチャメチャ上手い。
ある程度の上手さだと、歩く人が立ち止まったり軽いギャラリー的な感じが出来るけど、上手すぎると周りの人が居なくなるアレ。あるよね?
自分も(うわーこの人の後にやるのキッツいわ…やめよ…)と思って
去ろうとしたら、さっきまで他の音ゲーやってたその人の上手い友達に急に話しかけられた。
「上手すぎてキモいよね」って
それが僕がゲーセン常連になる最初の会話だった。

話しかけてくれた人は、一緒にセッションしてくれたりして
その後、一緒にご飯食べたりして仲良くなり
ちょくちょく放課後にゲーセン覗いて、その人達が居たら話しかけて
一緒にゲームして、居なかったら少し遊んで帰るみたいな感じになった

皆はドラムマニアだけでなく弐寺やDDRやポップンとかもやってて
すげー上手い。自分だけ下手で悔しいという謎のプライドや早く追いついて会話の中に入りたい焦りとか色々あって滅茶苦茶やった。
昼ごはん代の500円は
チョコチップのスティックか菓子パン+リプトンのミルクティー
残りの300円を音ゲー
バイト代の8割は音ゲーみたいな感じだった。
今思うとアホすぎる()
友人達はいつもは違うゲーセンに行っているらしく、行ってみる事にした。

本当のゲーセンに出会った

そのゲーセンは当時学生服の入場が禁止で家帰って私服じゃないと入れない
今思うとカツアゲとか問題起きた際に面倒にならないようにするためだったのかなぁ

入った瞬間、駅前のゲーセンとは空気が違う。
照明は暗く、ゲームモニターの光がメイン。
タバコ臭いし、なんか奥からは叫んでる声が聞こえるし完全に魔界。
音ゲーコーナーは奥らしく、ビビりながらも進んで行く。
途中に鉄拳とバーチャの前を通ると、ニッカポッカ履いてる兄ちゃんが
咥えタバコしながらプレイしてて叫んでるし怖え…。

目を合わせないようにしながらやっとの事で音ゲーコーナー到着。
いる人全員上手ぇ…今思うと当時のランカー多かったし
音ゲーの聖地だったのかもしれない。
多少上手くなった気でいたけど、レベル差に唖然として
もっと上手くならなきゃと思い毎日行くようになった。
お金が無くても上手い人のプレーを見たりしてイメトレしたり
自分がやる時も出来るギリギリの曲を積極的にやったりして
上達スピードがアホみたいに早くなった。

気が付いたら常連になり、話した事無いけどいつもアイツいるなーみたいなコミュニティの一員となっていき、友達の友達と一緒にやったりして
それをきっかけにまた話すようになり、どんどん自分の交友関係の輪が
広がっていった。
ここから僕の中でゲーセンはゲームをするのがメインじゃなくなり
人と会ったり話をしたりする場となっていった。

もちろん親世代はゲーセンのイメージはメチャメチャ悪くて
そんな所行くんじゃない!とか言われて喧嘩になったりして
ゲームはコミュニケーションのツールであって
そのツールを使う場所がゲーセンなんだけど
理解して貰うまで時間が凄くかかった。
親となった現在、自分の子の気になる事は一緒にやってみて
否定しないようにする良い教訓になったから感謝してる。

当時ポップンカーニバルでネット対戦が盛んになり
それをきっかけにネット上で色んなチームが作られた
名前@〇〇 みたいな感じの名前が出てきて
対戦後に掲示板に対あり書き込んだり
スナイプしてマッチングしましょうだったり
ネットを活用しながらゲームをする文化が始まった。
ちなみに僕は@ケチでした

このお陰でコミュニティ規模が急激に拡大し
今まではゲーセンまたは県内規模だったものから
地方となり、ついには全国規模となっていき
オフライン対戦しにゲーセンに遠征するのが普通となっていった。

当時、同世代の女性友人がポップンだけでなく全般の音ゲーができ
上手い女性プレイヤーが男性よりも比率が少ない事もあり
ホームゲーセンに色んな方が来て下さるようになった。
その友人はこいつ幸薄そうだなと気にかけてくれて
積極的に話の輪に入れてくれて、お陰で交友関係がとても広くなった。
これをきっかけに、自分でも色んな人と関わりたいという気持ちが強くなり
好奇心や積極性が上がっていき、今の仕事でも生かせるようになっていった

ちょうど良い区切りなのでまた更新します。



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