進歩本質主義者(OO主義と名前がつけられると冷めがち)

進歩本質主義者(OO主義と名前がつけられると冷めがち)

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教養を嫌いになる必要はなかった

入学してこの方、教養という概念を唾棄すべきものとして見ていたそれは、大まかに二分される問題意識からくる嫌悪感であった。  まず、より本質主義的な側面から、教養という言葉によって複雑で繊細な知性がパッケージ化され、陳腐化することに対する忌避感である。書店に並ぶ教養本や、YouTube上に無数に溢れかえる教養やリベラルアーツを謳った動画に出てくる豆知識の数々をみると、トリビアをより多く知っている人間が教養のある人間なのかと感ぜられてられてしまう。俺がその深い教養を受け止めることが