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今日から『繋がる』はじめマス

2020.4.23 の今日。

ひとりで『繋がる』をはじめマス。

私の職業は、作業療法士。

今まで、出会ってきたお子さんたち、親御さんたちと『繋がる』。

手段は、LINE @で。

LINE @のアカウント名は、「むすぶ(掬ぶ)」としました。

【むすぶ(掬ぶ)】の意味は、「水などを両手ですくう(掬う)こと」    

【同じ流れを掬ぶ】の意味は、《同じ川の水をすくって飲む意から》縁のつながった人間どうしであることのたとえ。

そして、LINE@の登録をご案内する内容の文章。(一部略)

作業療法士のkamedaaaです。この度、kamedaaa個人で「むすぶ(掬ぶ)」として、LINE@を開設しました。開設した理由は、2月末までは、皆さんにお会いしたり、相談でお話ししたりしてきましたが、新型コロナの影響で急に3月から学校が休校になり、集まりの機会がなくなりました。2月末、国の要請をテレビで見た時、前日、ご相談を受けた親御さんのことが頭に浮かびました。その時、ご家庭でのお子さん、ご兄弟との関わり方についてのご相談に対して、私なりに考えたことをお伝えしましたが、それは、この先、ほとんどの時間、親子だけで家で過ごすことになるこの状況下では、私がお伝えしたことは、理想論でしかなかったのではないか?これから、親御さんがお子さんと向き合って生活した時に、「うまくいかない」「しんどい」となった時に「ちょっと、kamedaaaが言われたこと、無理なんですけど」と私にリアクションをしてもらえる場・機会がない・・・と思いました。「早く収束しますように」と思っていたのも束の間、二度目の休校が始まり、正直、いつまでこの状況が続くか、わからない。そんな中「何か私も行動に起こさなければ」と思いました。そこで、私個人で、LINE@を開設し、主には、今までkamedaaaの相談を利用して下さった方、今までの中で、何かしらkamedaaaのことを知ってくれている方と再び繋がることができたらと思いました。・今までの相談の内容についてのご返答・新たな相談ごと・ このモヤモヤ誰に吐き出せばいいの?・ こんな嬉しいことがあった、こんな成長が見られたんだけど、今、身近に共感してくれる人が見当たらない・ ・・など、相談に留まらず、皆さんとkamedaaaとの繋がりとしてLINE@を利用できたらと思っています。この様な状況になる以前から、お子さんに関する相談については、・親御さんと直接お会いしてやりとりする。・ 可能な限り、お子さんとも関わらせていただき御相談に対応する。という点は、ブレないようにしてきました。そうしなければ、そのお子さんのことを正確に知ることができず、親御さんが本当に必要としている返答ができないと思ってきました。ですので、「直接お会いできない」状況で、どれだけ、やりとりできるかは、私にとって未知の世界です。これから模索していくような段階ですが、この様な状況でも、「kamedaaaと繋がっておこうかな?」という方がいらっしゃれば、「むすぶ(掬ぶ)」のLINE@にご登録下さい。「むすぶ(掬ぶ)」のLINE@は、今までの中で、お互い知り合っている者同士が、直接会えないけれど、繋がっていられる手段としてスタートしますので、ご登録の際には、必ず『親御さんのお名前』『子さんのお名前・年齢(学年)』『kamedaaaと出会ったことのある場所やエピソード』など、簡単な自己紹介・お子さん紹介などをメッセージ下さい。私の方からも、日々のちょっとした出来事などをメッセージで投稿していこうと思っています。「むすぶ(掬ぶ)」のLINE@が、皆さんにとっても、私自身にとっても「つながり」が感じられる安心の場になりますように。     2020.4.23  作業療法士 kamedaaa

これが『繋がる』を始める理由。

「自分に何かできるなんて思ってるの『おごり』なんじゃない?」「一体、何がしたいの?」「思いつきなんじゃない?」「責任持てるの?」「ひとりでやろうとしてるんでしょ。仲間いないの?」。。。。たくさんたくさん自問自答した。

そして、やっぱり、始める決断をした。

そしたら、昨日、山田ズーニーさんの

Lesson965感情の居場所 - おとなの小論文教室。

https://www.1101.com/essay/2020-04-22.html

に出会った。

その中の読者の声

<気持ちの行き場>行き場がない気持ちは、時として牙をむき、思いも寄らない方向へ向かいます。 そうならないためにも「気持ちの場所」が必要です。美術館でも、作品から感じた思いの行き場として、展示会場の終わりにショップがありますし、映画でも、エンドロールがあって、明るくなるまでに「間」があります。自分で、自分の「気持ちの場所」を与えるにも、その準備をする「間」が必要です。伝える側、受け取る側、互いにそういう「間」があれば、そこで育ってくる思いもあるはずです。 (たまふろ)

「気持ちの行き場」そして「間」

今のこの状況で、

お子さんたちも親御さんたちも「気持ちの行き場」を探している。

溜まってきた感情をどこに、どうおさめたらいいのか?

どこに吐き出したらいいのか?

すぐにその解決策は見つかるのか?

いや、そんな簡単に解決することなんてない。

どこかにその感情を置いておける「間」。

解決に即、直結しないけど、「どうしたもんかねー」と誰かと共有できる「間」。

嬉しい出来事も、嬉しさの余韻を共有できる「間」。

そんな「間」が、お子さん・親御さんも、私自身も、欲している。

お子さん・親御さん、そして、私にも「むすぶ(掬ぶ)」が「間」になれたら。

自分が記した「案内文」は、まさに「間」という「感情の居場所」を作りたいという文だということに気がついた。

昨日、この「Lesson965感情の居場所 - おとなの小論文教室。」が、私の「むすぶ(掬ぶ)」を始める意味を確実なものにしてくれた。


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