私がnoteを始める切実な理由。
乙武洋匡です。このたび、noteを始めることにしました。
さて、どこから書こう。ネットニュースなどでご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、今年4月まで海外を放浪していました。一年間かけて、37カ国・地域。「見聞を広めるため」などと言えば聞こえはいいけれど、正直に言えば逃げたかったんです。日本から。
1998年に『五体不満足』が出版されて以来、ずっと“障害者の代表”のように扱われてきました。もちろん批判の声もないわけではなかったけれど、おおむね好意的に受け止められてきました。三年前までは。
社会的信用は失墜しました。当然のことです。仕事もなくなりました。当然のことです。家族もいなくなりました。当然のことです。多くのものを失って、「さて、この先どうやって生きていこう」と考えました。驚いたことに、何も思い浮かびませんでした。
「だったら、海外にでも行ってみよう」
そんな軽い気持ちで日本を飛び出してみると、そこには思いがけず居心地のいい社会が広がっていました。もちろん、「道ゆく人々が私のことを知らない」という解放感もあったでしょう。しかし、それを差し引いても、半年近く滞在していたヨーロッパの国々には個人の尊厳を認める懐の深さと、一人一人の多様性を認める寛容さがありました。
それは、まさに私が日本で目指していた社会そのものでした。「こういう社会の実現を目指して、自分はもがいてきたんだよな」と複雑な気持ちになりました。その想いに偽りはありません。でも、みずからの弱さと未熟さによって、自分自身の道を閉ざしてしまった。
「だったら、もう移住してしまえばいいじゃないか」
次第にそんな気持ちが芽生えるようになりました。今後は日本でどんな活動をしたところで、「いまさら何を言ってるんだ」「おまえが言っても説得力がない」と相手にもしてもらえない。ならば、自分自身が望ましいと思える社会に移り住んでしまったほうがラクなのではないかと思ったんです。
そんなときに出会ったのが、メルボルンでした。当時、七年連続で「世界で最も住みやすい都市ランキング1位」に輝いていたオーストラリア第二の都市。滞在してみると、噂に違わぬ素晴らしい都市であることが実感できました(どう素晴らしいのかは長くなりそうなので、またの機会に)。
「ああ、これで決まりかな」
自分でも、心がどんどん“移住”へと傾いていくのがわかりました。それだけ住環境も素晴らしく、何の不満も見当たらなかったのです。ところが、滞在も三週間目に差しかかった頃、私の心にまた新たな感情が芽生え始めました。
「このままこの地で人生を終えても、本当に後悔しないだろうか」
答えはNOでした。
日本を多様性ある社会にしたい。
どんな境遇の人でも、できるかぎり平等にチャンスや選択肢が与えられる社会を実現したい。
この想いを実現せぬまま、いや、もっと言えば、この想いを実現することを放棄したまま異国に移り住むことは、短期的に見れば私の人生を豊かにしてくれるかもしれないけれど、長い目で見たとき、私が死に際を迎えたとき、「ああ、いい人生だった」と振り返ることができないだろうと悟ったのです。
そして、私は帰国を決意しました。茨の道を歩むことになるのはわかっています。それでも自分が望ましいと思える社会の実現に向けて、力を尽くしていきたいと思ったのです。たとえその想いを叶えることができなくとも、そうした目標に背を向けて生きていく人生にいずれ後悔するときが訪れるだろうと思ったのです。
ええ、わかっています。聞こえています。みなさんの心の声が。
「何をいまさらキレイゴトを…」
いや、ホントですよね。そう思われて当然だと思います。これが私の現在地なのだと自覚しています。だけど、やっぱりあきらめきれないんですよね。一人一人の価値が尊重され、平等にチャンスが与えられる社会を実現したいんですよ。
キレイゴトに聞こえてしまうことは百も承知。だけど、この想いだけはやっぱり捨てられなかったんです。メルボルンの中心部を流れるヤラ川に「えいやっ」と捨ててこれたら、どんなにラクになれただろうと思うけれど。それでも、どうしても捨てることができなかったんですよ。
長くなりました。このnoteでは“仲間づくり”をしていきたいなと思っています。私が日々考えていること、社会や時事問題について感じていること、時にはプライベートや趣味のこと。そうそう、いま取り組んでいる義足プロジェクトについても。あれやこれやを発信していくことで、「たしかに乙武が言っている社会が実現したらいいな」と思ってくださる方を少しでも増やしていくことができれば。
Twitterでは、変に拡散されて、曲解を受けたりすることもしばしば。そんな副作用を避けるため、いずれはクローズドな場にしていくかもしれません。それは使いながら、じっくり考えていきたいと思います。まずはフォローしてくださると、泣いて喜びます。
乙武洋匡、第二章——。どうぞ、よろしくお付き合いください。
みなさんからサポートをいただけると、「ああ、伝わったんだな」「書いてよかったな」と、しみじみ感じます。いつも本当にありがとうございます。