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大学卒業と共に振り返る「各方面への感謝」

これまでの人生で出会ったキーパーソンの存在を整理。大学卒業後も感謝の気持ちを忘れないよう、書き溜めておきたい。

これまで関わってくれた人たちなしでは、今の自分はいない。

「自分で決めてやりたい事を全力でしてきた!」って思う人生だけど、その背景にたくさんの人が自分のわがままを受け入れてくれて、暴走した時にも寛容でいてくれて、傷つけてしまった時もそれを割り切って応援してくれている事実がある事を忘れてはいけないなと思う。

生きてる!というより生かされてる!と感じることが多いのは、この背景があるからなんじゃないかなと思う。これまで関わってくれた人たちのサポートなしでは、おそらく自分は何も実現できていない、という事を常に覚えておきたい。

そして、その人たちのためにも何らかの価値を社会に還元できるようにしていきたい、と強く思う。

出会ってくれた人たちのためにも、実現したいことがある


これまでもこれからも変わらないのは「自分が正しいと思うものを信じ、やりたいと思ったことに全力を注ぐ事」これが生きがいなんだなと、大学生活を通して確信できた。

時期ごとに変わってきたのは①やりたい事の内容と②やりたい事をする方法の二つだなと感じる。

①やりたい事っていうのは、昔はただ純粋に興味を持つことや面白いな!と感じるものだったけど、今は社会的に必要とされているもの、社会で課題とされているものを解決できることに一番興味がある。面白いな!だけでは何か物足りなくなる感覚がある。面白いな!の背景に大きな意義があって初めて本気になれる感覚。それ以外はあくまでも余暇的な要素。

②やりたい事を実現する方法。昔は、ほとんど周りを気にせず自分がやりたい事をとにかく自由にやってたけど、今はやりたい事っていうのが大きくなっている分、沢山の人と連携しながら互いに心地よい環境を作って進めていく事が大切だなと感じている。一人で何かをするのも楽しいけど、人と協力する方が予想しなかった景色をみられるから何倍も楽しいっていうのを人生通して確信してきた。

だからこそ、色んな価値観ワークをしてみてもいつも同じ結果にたどり着く。
社会的に意義ある事(本質的な課題解決)に繋がるサービスを作るっていう、一番面白みを感じる事を、尊重し合える人たちと一緒に楽しみながら自由度高く実現させていく。これが数年は変わらない、一番のやりたいことであり人生の方向なんだなと感じる。

『自由にのびのび生きること』を教えてくれた両親

そんな自分の人生は、どんな時も自分のやりたいことを応援してくれる両親の基で始まった。幼少期から兄弟の中で一番のびのびと過ごさせてもらうことが多く、幼稚園では友達とお菓子を食べる時間が羨ましくて延長保育をお願いしたり、習い事で遠征した際についでに観光することをお願いしたり、当時思っていた以上に自由にのびのびと生きてきたなと感じる。

そんな両親から教わったことの中で、今の自分につながっていることが四つある。

一つは、「自分の意思で物事を決める」ということ。昔から、これやりなさい、あれやりなさい、と言われたことがあまりない。迷った時も「最後は自分で決めなよ〜。そうじゃないと納得できないでしょ。」と言われることが多く、小さい頃から自分で決める、という場面をたくさん経験してきた。

小学校の時は、習い事を始めるのも辞めるのも自分で決めた覚えがあるし、高校・大学の受験校も自分で決断してきた。大学ではほとんど全てのことを自分の意思で決めさせてくれて、長期インターンに全振りしたくてバイト全部辞めるって伝えた時も、大学最後にやってみたいことがあって半年間働かないって伝えた時も、「自分で決めたことだから良いと思うよ」と肯定してくれたことには感謝の気持ちが止まらない。こういう背景があったからこそ、「自分の意思で物事を決める」ことの大切さが自分の土台として形成されてきたのだと思う。

二つ目は、「自分のペースで生きる」ということ。これについては、昔から「〇〇ちゃんは良くできるよね」とか「〇〇ちゃんは△△らしいけど?」とか、誰かと比べるような発言をほとんどされてこなかったように感じている。

生きていく上で他者の存在を意識しないことってすごく難しいし、特に中高大の時は自分と他者を比較してしまいがちだけど、その度に「〇〇ちゃんは〇〇ちゃん。ひなはひな。」と言い続けてきてくれた記憶がある。

忙しくなりすぎて疲弊している時は「たまには休憩しなよ〜」とか「ゆっくりのんびりで大丈夫だよ〜」とか伝えてくれて、周囲を気にせず自分のペースで生きていく、ということを教えてくれたなと感じる。

これに関しては、最近やっと確立できるようになってきたスタンスで、良い意味で肩に力を入れずに進んでいけるようになってきた。

三つ目は、「とにかくやってみる」という精神。挑戦心、とも言い換えられる。やるか/やらないか、迷った時はいつでも「やってみたら?」と背中を押してくれた。

「これやりたい、あれやりたい」と自分から提案したことについても、ちゃんとした理由がある限りは(たとえ状況が厳しくても)「頑張りなよ〜!」ってサポートしてくれた。(大学の留学はまさに分岐点になった経験だったから、大変な環境下で挑戦に向けてサポートしてくれたことには感謝の気持ちしかない。)

だからこそ、今だにやる?やらない?ってなった時はかなりの確率でやってみよう!の方に傾くんだと思う。周囲がどう、とか関係なく無理矢理挑戦させられることも多かったからこそ、未知なるもの/難しそうなことに挑戦することへの耐性が比較的ついている方なのかな?と感じている。

そして四つ目は、「周りにいる人を大切にする」ということ。言葉だけを見ると当たり前じゃない?と感じるものだけど、実際に日常生活の中で心がけるのはすごく難しいと感じてきた。

余裕のある時は人に優しくできるし人の気持ちに配慮できるけど、自分が忙しくなった時やピンチの時は周囲の人が見えづらくなってしまいがち。

だからこそ、自分がどんな状況にあっても、周りにいてくれる人たちの存在を大切にし感謝と敬意を忘れないことが大切であると教えてくれた。これは、すごく難しいことだからこそ、日々の中で一番意識していることでもある。(ちなみに、少しでも忘れてしまっていた時はいつも、自己内省の量が半端じゃないことになっている。)

これら四つは自分自身の土台として日々大切にしていることだし、それを言葉と行動で教えてくれた両親には本当に感謝の気持ちが溢れている。いつか(というか数年以内には)恩返しができるように今できることに一つ一つ向き合っていこうと思う。

『自分の原点』を教えてくれる中高の友達

そして、家族以外にも影響を受けてきた人たちが他にもたくさんいる。例えば、中高の友達。社会人になった今でも、時々会うとたくさんの学びをもたらしてくれる存在ですごく大切な人たち。久しぶりに会うと気づくこととしては大きく二つあるなと感じている。

一つは、自分の原点を思い出させてくれること。生かされてきた、支えられてきたっていうのを再認識させてくれて「いつか返したいな」と思わせてくれること。

中高の友達はみんな別々の分野で生きているから、思い描いている未来の姿もありたい姿も全然違うけど、話してるうちに過去の情景がクリアに思い出されてきて「あの時も楽しかったなぁ」とか、「みんなのおかげで色んなことに気づけて今の自分が形成されてきたなぁ」と感じることが多い。

くだらないことをしてた中学時代も、意味が分からないほど真面目な生徒を演じていた高校時代も、変わらずに本来の自分を受け止めてくれて、会うたびに自分がどんな人生を歩んできたのか、という原点を思い出させてくれる。

そしてもう一つは、自分を理解し応援してくれる存在がいるという安心感を与えてくれること。

大学で何を考え何をやってきたのかを全て話してるわけではないけど、部分的な話を聞きながらも「それめちゃらしいわ!」とか「楽しそうで安心した!」とか「何やかんやでやりたいことやるんだろうし応援してるよ!」とか「良い報告聞けるように楽しみにしてる!」とか、自分のことを理解した上で応援し見守ってくれているなと感じる。そして、「疲れたら休みなよ〜」とか「やってみてダメだったら帰ってきたら良いじゃん」って安心感を与えてくれる。

それぞれでやりたいこともあって忙しいのに、話を聞いて欲しい時は相談に乗ってくれたり、一人でこもりたい時はそっとしておいてくれたり、自分のペースにすごく合わせてくれる人たち。

支えてもらうたびに「ありがたいなぁ」「生かされてるなぁ」と感じるとともに「何も返せてないな。。」と感じるから、貰った分をちゃんと還元できるようにしていきたいなと思わせてくれる。

進みたい方向は違えど中高の友達の存在は自分にとってすごく大きいし大切な人たち。この人たちがいるからやりたいことを全てやってみよう!と思えるし、ダメだった時は帰ってくれば良いやって思える。ずっと感謝していきたい存在だなと感じている。

『妥協しない』を教えてくれた高校の担任/顧問

昔馴染みの友達の他に、高校の担任・顧問の先生にもすごく感謝している。

高校時代は、学校生活と部活動で対極のような姿だった。学校生活では(色んな背景があって)とにかく勉強に集中したくて物凄く分厚い壁を作り出してしまっていたなと感じる。クールで冷静で真面目な生徒、という、とっつきにくい存在だったんじゃないかなと思う。

そんな中で高2の時に出会った担任の先生の存在は大きくて、勉強や物事を知る、という面においてすごく真剣に向き合ってくれた人だったなと感じている。今では「当時は、勉強にかける熱が半端じゃなかった」と言われることが多いけれど、周囲が若干ひいてしまうような温度感だった自分に対して、どんな時も妥協せずに返答し続けてくれたなと思う。

妥協せずに徹底的にやってみる、ということの面白さを教えてくれた先生だったなと思う。加えて、進路選択の時も「どうしたい?」と自分の意思を最優先してくれて、志望校合格に向けて伴走してくれた。(過去問の添削については、怒涛のスピードで進めてしまったが故に何度か先生を徹夜させてしまった。「徹夜したんだけど〜?」と笑いながら言ってくれていたけど、あの時に先生の本気度を感じたし、本当に感謝している部分)

一方、部活の顧問からは「自分の想いを言動で伝える」「正しく責任を背負う」ということを学んだなと感じる。学校生活とは異なり、部活ではありのままの自分でいることが多かったからこそ、正直すごく生意気で反抗的だったと思う。

コミュニケーションの齟齬が起きるたびに「なんで??」ってボルテージが上がってしまっていたし、納得できないことがあったら練習を中断させてしまうこともあった。(キャプテンなのに顧問と二度も揉める。その末に帰れと言わせてしまうという、今考えれば本当にダメな部分がたくさんあった時期)

ただ、根本にある考え自体はすごく共感する部分があって、部活ノートでのやりとりでもよく言われていたのが「自分がどう動くかでチームが変わる」「自分の考えをメンバーに伝えてあげてほしい」という部分で、自分の想いを言動として発信することだったりチームを背負うという責任感を常に問われていたなと思う。

アップアップな時期もあって素直になれないことが多かったけど、自分の考え/想いをできる限りメンバーに共有する、とか気負いすぎず責任を持つ、という部分は今の自分のスタイルを形作っているなと感じる。

振り返れば、自分の良いところを褒めてくれる人と、自分の悪いところをストレートに怒ってくれる人に囲まれた高校生活だったなと感じる。ただ、二人とも「自分の可能性を信じてくれていること」については共通していて、そのバランスが上手く保たれていたからこそ、たくさんのことを学ばせてもらえたんだなと感じる。

※振り返ってみると、幼少期から褒めてくれる人/怒ってくれる人が常に両方いてくれた感じがする。優しい人に囲まれているとたまに率直でストレートなFBが欲しくなるのも、案外色んなところで本気で怒られてきた経験が多いからかもしれない。

『自分らしく生きる』を教えてくれた大学の友達

そして最後は、大学で出会った友達。大学は本当に自分自身を一番変えてくれた場所だったなと感じる。自分とは異なる考え/感性を持った友達に囲まれ(みんなバラバラだから、もはやカオスでしかなかった)どんなスタイルであっても「自分らしく生きる」って素晴らしいことだということを学ばせてくれた。

視野が狭まったときは、見えていなかった選択肢を提示してくれ、固く考えすぎていた時は、考えをほぐしてくれる、「うそでしょ!?」の繰り返しで自分の視野や考え方、行動範囲がどんどん広がっていき、無理せずに楽しく進んでいくことで「生きること自体が面白いな」と思わせてくれた。

たくさんの出会いと気づきをくれたみんなに感謝の気持ちが絶えません。

他にも、ゼミの先生からは研究の面白さと深みを学ばせてもらい、諸先輩方からは理想のリーダー像とは何か?を学ばせてもらってきた。ここには書ききれなかったけれど、これまで出会った全ての人に感謝の気持ちを持ち、その人たちに恥ずかしくない人生を歩んでいきたいと思う。

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