職人弟子入り日誌 1日目

「やめておけ」

 工場への初出勤の日、予定していた時間よりも随分と早く起きてしまった僕は、いつもは飲まないはずのコーヒーを飲みながら、出発までの時間を過ごしていた。ちらちら時計を確認するが、なかなか時間は進まない。そんな状況に僕はしびれをきらして、「だいぶ早いけど、まあいいか」そう思って家を出た。家から工場までの道のりは自転車で30分ほどかかる。いつもは中須さんと一緒にバスで工場まで行っていたので、その日は何度も自転車を止め、道のりを確認しながら工場へと向かった。

 指定されていた時間よりも早く工場につくと、そこには西田さんの姿があった。「おお、えらいはやいな。いま色つくってるから、二階で座って待っとき」そう言われて僕は、二階の作業場にあるパイプ椅子に腰かけていた。工場には何度か足を運んでいるとはいえ、その場所の放つ独特な雰囲気に自然と僕の背筋も伸びる。しばらくすると西田さんが2階まで上がってきて、奥の部屋に来るように言われた。

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 少し早く着いた工場では、西田さんはすでにその日の準備をしていた。

 「ほんで君は何をしたいんや?」奥の部屋に行き、話が始まるや否や、西田さんは僕にド直球な質問をぶつけてきた。いきなりだったので少し驚いたが、「僕は自分がカッコいいと思える仕事がしたくて、ここに来ました」そう切り出して気持ちをつたえると、「外からはよく見えるかもしれんけど、実際やってみると、そんないいもんでもないで」と微笑みながら返された。そうやって話を進めているうちに、「ちょっと得意先いってみよか」と言われて、取り引き先の工場や問屋さんのところに連れていってもらえることになった。

 その日に連れて行ってもらったのは、蒸し屋さん、整理屋さん、問屋さんの三か所だった。西田さんの工場では主に服のもとになる生地を染めている。その生地がアパレルメーカーのもとまで届くには、色を定着させるための蒸す作業や、柔軟剤加工、検品など様々な工程が必要になるのだが、蒸し屋さんや整理屋さんに行くと、そういった工程を自分の目で見て学ぶことができた。

 しかし、整理屋さんや問屋さんを訪れた際、工程について説明をしてくれた人たちは決まって僕にこう言った。「この業界で働くのはやめたほうがいい」その言葉は冗談でもなんでもなく、僕のことを思って言ってくれた言葉だったのか。

 時代の流れによって洋服の多くは売れなくなってしまった。海外アパレルメーカーの日本撤退や、有名アパレル企業の倒産などが広く知られているように、日本のアパレル・テキスタイル産業の業況は非常に厳しい。そんな中で自分の子どもぐらいの年齢の大学生が染め職人に弟子入りするということを、その人たちは危惧していた。しかし、僕も僕なりにヤバいということはわかっているつもりだ。ただ、たとえヤバかったとしても、僕はこの職業に惹かれてしまったのだ。気持ちひとつでどうなるかはわからないが、その「やめておけ」という言葉を力にして食らいついていきたい。そう思えた出勤一日目だった。

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