職人弟子入り日誌 0日目 ③

~職人に弟子入りするまで~

③トーゴへの出発

 中田さんに「ちょっと来て」と呼ばれ、連いていった先にいた感じのいいお兄さんの正体は、アフリカのトーゴ共和国と京都をつなぐ事業をしている中須俊治さんだった。中田さんが「この子、就職活動で悩んでるらしいで」と言って僕を紹介すると、中須さんは「僕も学生時代シューカツで悩んでたんです」と返して、僕と話し始めた。

僕:「はじめまして!立命館大学の越本大達です。」
中須さん:「おお、よろしく。越本くんか 君、大学では何て呼ばれてるん?」
僕:「下の名前がひろみちなんで、ひろみちおにいさんとか呼ばれてます!」
中須さん:「ひろみちおにいさんか、ええやん!ひろみちおにいさんはいい身体してるけど、体力はある?」
僕:「体力ですか...?えっと、高校まで野球してたので、あるほうだと思います!」
中須さん:「そうか、野球してたんか!それは体力あるわ。 それなら大丈夫やと思うし、一緒にトーゴ行ってみない?」

ほとんどこれだけのやり取りだった。話を始めてから5分も経たずに僕はアフリカに誘われた。その軽さは「飯でも行く?」ぐらい軽かった。旅の詳細も、トーゴという国も、中須さんがどんな人なのかということも、ほとんど何もわからない中での誘いだったが、なぜか僕の中に躊躇する気持ちはなかった。その時にあったのは「これはヤバいけど、何か面白そう」という気持ちだけだった。僕はその気持ちに従って「行きたいです」と返事をしてアフリカ、トーゴ共和国に行くことを決めた。

「体力ですか…? の場面」

 トーゴに入国するには黄熱病のワクチンを打たなければいけない。また、そのワクチンは注射を打ってから有効になるまで10日間かかる。そのため、一か月ぐらい前から予約しておかなければいけないのだが、僕がトーゴ行きを誘われたのは日本を出発する2週間前だった。それを知った時、「あれ、これはトーゴに行けないのでは?」という気持ちが頭をよぎった。しかし、「行けばまた違った景色が見られるはず」と思って、あきらめずにネットで検索して出てきたクリニックに片っ端から電話をかけていった。そんな僕を見かねて、学び場とびらのスタッフさんたちも電話をかけるのに協力してくれた。その状況に感謝しながら電話をかけ続けていると、その数は気づけば、沖縄から北海道まであわせて100件近くに及んでいた。そんな中でたまたま東京に「今日なら打てます」というクリニックがあったので、僕は迷うことなく新幹線のチケットを握りしめ、京都から東京へ向かった。

 何とか東京での注射を済ませ、京都に帰ろうと思っていたが、学生にとって京都から東京間の新幹線代は片道でもまあまあな出費だった。そこで僕は「アフリカに行くぐらいだし、ヒッチハイクもできるんじゃないか」という謎の理論でヒッチハイクを試みることにした。僕も車が捕まるか半信半疑だったが、調子に乗っているときというのは怖いもので、たまたま京都まで行く大学生と合流し、難なく京都まで帰ることができたのだった。そうして僕は、何とかしてトーゴ行きの切符を手に入れた。

人生初のヒッチハイクはお菓子をおごってもらうなど、とても快適なものだった。

つづく。

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