職人弟子入り日誌 0日目⑤

~職人に弟子入りするまで~

⑤職人との出会いと決意

 まわりの人の話し声がどんどん聞きとれるものになり、看板や景観も見慣れたものに変わっていく。そうやってまた長い時間をかけて、僕はトーゴから日本へ帰ってきた。帰国するとすでに大学の夏休みは終わっていたので、僕はあわてて履修登録を済ませ、いつもの大学生活に戻っていった。ただ、いつものような生活に戻っても、僕の生活態度はトーゴに行く前とは異なっていた。大学の授業を一番前の真ん中で受講したり、フランス語サークルを立ち上げて、フランス人を勧誘したりと、その行動は明らかに活発になっていた。それはトーゴで学んだ大切なことや自分が痛感した無力さなどもふくめて、僕を動かすエネルギーになっていたからだと思う。

 そのようにして大学生活を過ごしているうちに、中須さんから一本の連絡がはいった。その内容は「社長のところに行くんやけど一緒に行かへん?」というものだった。(社長とは、のちに僕が弟子入りする職人の西田さんのことで、中須さんは前職の金融機関で働いていた時に西田さんと出会い、独立した現在も一緒に仕事をしている。)「社長は国内外のハイブランドからオファーを受けていて、パリのコレクションにも出展するような洋服の生地を染めている、世界でも屈指の技術を持つ職人だ」という話を中須さんから聞いていたこともあって、「それはぜひ会ってみたい!」と思い、二つ返事で誘いにのった。

 工場に到着すると、僕はその工場の放つ雰囲気に圧倒された。奥ゆきのある工場から感じられる張り詰めた空気や数えきれないほどに敷き詰められたシルクスクリーンなど、薄暗いその場所の中には職人さんが積み重ねてきた様々なものが集約されていて、すべてにおいて並々ならぬ雰囲気を漂わせていた。僕がそんな雰囲気に感動しているときに西田さんは現れた。染料でドロドロのジーンズとトレーナーを着た西田さんは「珍しいお客さんやな」とつぶやいて椅子に腰かけた。そして、そこで聞くいろんな話に僕の気持ちはどんどん惹かれていった。

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 伝統産業と聞いて、僕は勝手に古きよきものをそのまま受け継いでいるという、ちょっと保守的なものだという印象を持っていた。しかし、その実態は違った。現在もたくさんの試行錯誤や失敗を繰り返して、どんどんとその技術をアップデートする職人さんの姿がそこにはあり、その証拠に、工場には山のように積み上げられた失敗作の布があった。こうした失敗に裏付けされるものこそが、世界から評価されるようなものなのかもしれないと、肌で実感した。

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 そういった事実を知っていくうちに、いつしか僕は職人さんの仕事のとりこになっていた。しかし、そんなカッコいい仕事でも業況は悪かった。服が売れなくなってしまったことや染料の価格が時代とともに引き上げられてしまっていることから、そのしわ寄せが工場には来ていた。

 そんな状況に加え、西田さんの年齢はもう70歳を超えていて、この先何年もこの工場を続けていくことは難しいということも知った。「自分がこんなにもカッコいいと思えた仕事がなくなってしまうのか」と、そんなさみしさを感じながら僕は工場をあとにした。


 月日が流れて三年生の春休みになり、いざ就職活動の本番を迎える時も、僕の頭からあの工場や職人さんの姿が離れることはなかった。また、トーゴで交わした中須さんとのやり取りがずっと残っていた。「自分がカッコいいと思える仕事をしよう。」そう話をして抱いた「僕もカッコいいと思える仕事がしたい」という気持ちに何ら変化はなかった。

 「目の前にはカッコいい仕事があり、それに飛び込まなければ僕はこの先ずっと後悔するだろう。自分には何ができるかわからないけれど、僕は自分がカッコいいと感じた仕事をみんなと共有したい。」

 

 その一心だけで就職活動をやめ、僕は職人さんに弟子入りすることを決意した。


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