ロマン主義の形成過程について〜ヨーロッパ文学の潮流の視点から〜

 18世紀末から19世紀にかけて、ヨーロッパの文学、美術、音楽等の諸芸術において、ロマン主義という傾向が広がった。これまでのギリシア・ローマを規範とする古典主義からの自由を求め、理性ではなく感性と想像力を重視し、主観的な美の創出を目指した芸術潮流である。
 ロマン主義の形成を考えるうえでは、まず大きな社会変動という時代潮流をみるべきであり、それが産業革命であり、アメリカ独立戦争やフランス革命といった市民革命である。これらに共通するのは、市民階級の台頭により、人間という存在の重要性が認識されるようになったことである。さらに、啓蒙主義思想では、理性の重視への反発を生みながらも、その核となる人間中心主義の考え方は、ロマン主義の形成に大きな役割を果たした。
 こうした時代潮流を背景にして、フランス文学におけるロマン主義の先駆的役割を担ったのがルソーである。その特徴として、個人の内面を描くことで人間のもつ感受性を価値づけ重視した点にある。書簡体の恋愛小説『新エロイーズ』や自伝小説『告白』といった初期の散文はその典型であり、自由と感性を重視するロマン主義の形成に大きな影響を与えた。
 ロマン主義は、フランスのみならず、ヨーロッパ各国での潮流が複雑に絡み合いながら形成されていった。中でも無視できないのはイギリスとドイツである。イギリスでは、安定した社会の中で各国へのグランド・ツアーが盛んになり、芸術体験をもとに独特な美意識の醸成が図られた。ピクチャレスク美や「崇高」といった感情をもたらす美意識を反映し、幻想的な主題の文学「ゴシック・ロマンス」として、ウォルポール『オトラントの城』やベックフォード『ヴァテック』といった代表作が生まれた。こうした感性や想像力を重視した文学が嚆矢の役割を果たし、イギリスにおけるロマン主義の先駆といわれるワーズワースとコウルリッジの『抒情歌謡集』へとつながっていく。
 ドイツにおいては、18世紀後半に「シュトゥルム・ウント・ドラング」運動が起こり、合理主義への批判的立場から、感性や情熱の優位性の追求する文学潮流が生まれた。その後の古典主義的傾向に反発する形で、個人の独創性や自由な表現を唱えるシュレーゲルやノヴァーリスといった神秘的な主題の文学へとつながっていった。フランスのスタール夫人は『ドイツ論』でそのドイツ文学を称え、個性的、独創的な感性やロマンティックな感情を取り入れる必要性を説くことで、翻ってフランスにおけるロマン主義への道を切り拓くことになったのである。
 このように、ロマン主義は、産業革命や市民革命という時代転換を背景としながら、フランス、イギリス、ドイツなどの各国独自の潮流を踏まえながら形成され、複雑に絡み合うなかで、フランスのユゴーらを頂点に成熟していった。それは、文学だけでなく美術、音楽、思想までもあらゆる分野を巻き込んだ一大思潮となり、レアリスムへと影響を与えながらも、後世まで持続していくことになるのである。

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