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菱田春草と上村松園~春草晩年の未完成画《雨中美人》をめぐって~(2)

1 春草の未完成画《雨中美人》とは ~その特徴と作画意図~
 春草の《雨中美人》は、6人の女性が木立の中で傘をさして佇む情景を描いた作品で、「美人」画ながら1人だけ顔を出し、5人の顔は傘で隠れている[註6]。
 こうした全体像は2015年の屏風画本体の発見でわかるようになったものだが、それ以前から部分的なスケッチや下図、関係者の回想などによりある程度知られた作品であった。1940年の評伝でも、「数名の今様美人が雨中に傘を指して往来する光景を六曲屏風一雙に描い」[註7]たとされている。春草の画業でこの作品が注目されるのは、「初期の代表作はほとんど大部分人物画であるが、晩年には余り人物の描写はしなかった」[註8]中での珍しい女性人物画の着想であったことだといえる。

 《雨中美人》の作画意図は、いくつかの評伝や論文でも指摘されている。勅使河原純氏は、寂寥たる秋の気配に佇む女性像を通じ、神聖な空間を構築しようとしたと述べている[註9]。近藤啓太郎氏は、傘ぐるみの人物を一個の形態として緊密に配置し、群像全体の造形美を描こうとしたと指摘している[註10]。
 最近では、小島淳氏が、春草は近作で未解決だった樹木構成の空間性、モチーフの造形性、衣服の色彩表現という課題を掲げて着手したと考察している[註11]。
 これらに共通するのは、絵画空間での造形美の重要性であり、女性の佇まいと傘の円形模様を装飾的に配することで、形成される造形美を象徴的に表現しようとしたととらえられる[註12]。

<註>
[6]《雨中美人》を所蔵している飯田市美術博物館が描き起こしたものがある。これにより全体的な構図がはっきりとつかめる(飯田市ホームページ 菱田春草筆「雨中美人(うちゅうびじん)」(未完成))。
[7]小高根太郎「菱田春草傳」『美術研究資料 第九輯 菱田春草』、美術研究所、1940年、66ページ。
[8]斎藤隆三『日本美術院史』、中央公論美術出版、1974年([初版]創元社、1944年)、163ページ。
[9]勅使河原純『菱田春草とその時代』、六藝書房、1982年、504ページ。勅使河原純(1948- )氏は画家・美術評論家で、菱田春草研究を続けて関係資料数千点も収集する。
[10]近藤啓太郎『菱田春草』、講談社、1984年、170ページ。近藤啓太郎(1920-2002)氏は画家・作家で、近代日本美術に関する著作も多い。
[11]小島淳「《黒き猫》誕生の秘密」『没後110年特別展 菱田春草-故郷につどう珠玉の名画』、飯田市美術博物館、2021年、95ページ。小島淳氏は飯田市美術博物館学芸員。
[12]1909年の第3回文展で二等賞第一席(最高賞)を受けた春草の《落葉》は、土坡や地面の描写などのリアリティある空間表現を排し、樹木の構成や色彩といった装飾性を重視した作品となっている。続く1910年の《雨中美人》では、《落葉》の樹木を女性の佇まいや傘の円形模様に置き換えることで、その和風素材による装飾美とともに、それからなる空間の造形美を象徴的に描こうとしていたとみることもできる(飯田市ホームページ 菱田春草筆「雨中美人(うちゅうびじん)」(未完成))。

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