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菱田春草と上村松園~春草晩年の未完成画《雨中美人》をめぐって~(4)

3 傘をさす女性群像の造形性に着目した松園作品と《雨中美人》
 松園は1907年から1910年の間に、美人観桜図の系譜を引く、傘をさす女性群像を集中的に描き、群像表現の研究を行っている[註23]。ここでは1910年の2作品を取り上げる。

(1) 《花》(1910年 姫路市立美術館蔵)
 桜の花びらが舞う中で傘をさす3人の女性群像である。女性を重なるように並べて奥行きを表現しつつ、傘を右側へ楕円状に配置し、下から上へ奥に向かって流れをつくる。傘と女性像で形づくる造形美を追求したと思われる作品である。
 本作は、前述の巽画会第10回展で銀牌を受賞した同名の《花》とほぼ同じ構図である[註24]。

https://www.museum.or.jp/event/54421

(2) 《花見》(1910年 松伯美術館蔵)
 桜の下に集う5人の女性群像で、左下から右上へと女性を重ねて奥行きをとらえる。下方に4本の傘を重ねて配し、別の人物の存在を暗示しつつ、手前の傘から女性のいる奥へと視線を誘導させる、構成力に富んだ作品である。
 松園は同じ構図の作品を1907年から1910年に集中して描き[註25]、本作は1910年5月の日英博覧会で金賞となるなど[註26]、高い評価を得た。

https://www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/shohaku/exhibition/hohoseihu/

 この2作品と《雨中美人》を比較すると、多くの違いが見受けられながらも、次のような共通点を指摘できる。
① 傘や女性を重ねて配置し、奥行きを表現
② 女性像の顔や佇まいを多様な向きに配し、リズミカルな画面を構成
③ 視線を縦横に誘導させるように傘の円形模様を装飾的に配置し、造形美を追求
 制作時期は、松園の2作品が《雨中美人》より先行する[註27]。《花見》について、春草が見た事実は文献上確認できないが、当時松園が何度も描いた構図で、松園と接点のあった春草が目にする機会はあったかもしれない。《花》は、巽画会第10回展出品作と同じ構図で、春草は審査員として出品作を間違いなく目にしている。
 以上の内容を踏まえると、傘をさす女性群像の造形性に着目した松園作品は、この時期の春草の《雨中美人》のモチーフにヒントを与えた可能性が考えられるのである。

<註>
[23]高階秀爾監修『「美人画」の系譜―心で感じる「日本絵画」の見方』、小学館、2011年、51ページ。
[24]姫路市立美術館編『コレクションでたどる姫路市立美術館の25年 日本美術』、姫路市立美術館友の会、2008年、上村松園《花》(1910年)の解説部分。なお、『上村松園画集 図版編』(原田平作・内山武夫編、京都新聞社、1989年)に、No.42《三美人図》(1908年)、No.48《花》(1910年)、No.50《花》(1910年、巽画会第10回絵画展覧会銀牌受賞作)の図版が掲載されており、これらの作品は同じ構図であったことがわかる。
[25]『上村松園画集 図版編』(原田平作・内山武夫編、京都新聞社、1989年)に、No.35《花のにぎわい》(1907年)、No.41《花かり図》(1909年)、No.45《花見》(1910)の図版が掲載されており、これらの作品は同じ構図であったことがわかる。
[26]村田真知編『上村松園書誌』(AA叢書7)、美術年鑑社、1999年、171ページ。京都市美術館・大谷幸恵編『上村松園』、青幻社、2021年、177ページ。
[27]前掲の『上村松園画集 図版編』では作品はほぼ制作順に並べられていることから、[図3]のNo.48《花》は、巽画会第10回展出品作のNo.50《花》に先行することがわかり、その制作時期は同展開催の1910年3月より前である。[図4]の《花見》は、1910年5月の日英博覧会に出品しているため、制作時期はそれより前である。したがって、これらの2作品の制作時期は、1910年8月から9月ごろに構想された《雨中美人》より先行する。

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