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ボッティチェッリの作品《受胎告知》の特徴について

 サンドロ・ボッティチェッリの《受胎告知》という作品を分析するにあたり、造形的特徴をとらえたうえで、それらを主題に照らして考え、社会的背景という文脈の考察を加えていきたい。
 まず、造形的特徴について、本作品の中心をなす2人の人物像からとらえてみる。画面の左側には、天使が左手に白百合の花を持ちながら、右ひざをついた低い位置から右手を伸ばして、右側の人物に向かう姿勢で言葉を伝えようとしている。画面の右側には、赤い衣服に青いヴェールをまとい、頭上に光輪のある聖なる女性が描かれる。天使の姿勢と呼応するかのように、女性は驚きや戸惑いを感じさせる身を引くポーズを示し、身体の曲線を形成する。一方で、顔には落ち着いた静かな表情をたたえるとともに、天使と同じ形をした右手は伸ばされ、天使の右手とともに斜め一直線の構図を形成し、緊張感とともに一体感により心通じ合う瞬間をとらえるようである。
 人物を取り巻く情景では、整然とした室内に幾何学的な模様の床が印象的である。ルネサンス様式で完成された遠近法により、天使の背後にある開口部から遠くに広がる風景へと自然と目を向けさせる。すぐ外には四角い囲われた庭があり、さらに奥には穏やかな季節の美しい田園風景が広がっている。
 次に、この造形的特徴を踏まえ、「受胎告知」という主題に照らしてみる。「受胎告知」という画題は、新約聖書のルカの福音書に記される出来事であり、神により大天使ガブリエルが聖母マリアのもとに遣わされ、イエスの受胎を告知する場面を描くものである。本作品において、左側が大天使ガブリエル、右側が聖母マリアであるのはいうまでもないが、描かれた聖母マリアに関するアトリビュートの存在で解釈できる典型的な作品である。赤色の衣服は神の慈愛を表すとともに、青色のヴェールは天の真実を意味し、高貴な存在としての聖母マリアの象徴の色とされる。白百合の花は純潔無垢の穢れのない気高さを表しており、聖母の純潔を象徴するものである。さらに、窓の外にある石で囲われた庭は、閉ざされた園として穢されていないマリアの子宮を表すとされ、神秘の懐妊の象徴である。
 主題に関して「受胎告知」で描かれる場面には、大天使がマリアのもとへ到着すぐの瞬間、二人が言葉を交わすところ、マリアが受け入れ大天使が去るところの3つの場面があるとされる。本作品では、マリアの身を引くポーズから、大天使の告知を聞いた瞬間の驚きや戸惑いを示す一方で、マリアの表情や大天使とマリアの通じ合う手の表現は、告知に対する受託や神への従順を示しており、複数の場面が交錯することでマリアの複雑な思いが表現されているという珍しい作例といえる。
 そして、社会的文脈という観点から、《受胎告知》は、キリスト教の普及のための信仰図像の一つとして様々な画家によって描かれてきたもので、本作品もその流れを汲む作品である。特にルネサンス時代には、経済的に成功を収めた者たちが積極的に教会への寄進のため絵を描かせた例が多く見られ、本作品も、フィレンツェの両替商からチェステッロ聖堂礼拝堂の祭壇画の依頼を受けて制作された作品である。
 特に《受胎告知》はルネサンス期によく描かれた画題でもあり、聖母マリアを人間らしい姿はルネサンス特有の人間中心主義を反映したものである。本作品でも、前述した聖母マリアの表情、衣服、行動などからは人間ドラマを表現しているようであり、神の母でありながら、美しい女性という人間的なマリアへのあこがれが重視されているといえる。さらに、大天使と聖母の2人が極めて大きくクローズアップされている点や、聖母マリアの感情を表出させるような大きく曲線を描くダイナミックな動きの表現は、当時でも類例をみないボッティチェッリの独特な人物表現であり、当時の世相に対して敏感に反応した先進的な表現とも考えられる。
 これらの特徴から、サンドロ・ボッティチェッリの《受胎告知》は、ルネサンス期における典型的な作例であると同時に、独創的な要素も含んだキリスト教図像の秀作と位置づけられる作品である。

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