森鴎外『舞姫』と日本の近代小説

 明治時代は、旧秩序からの転換、西洋文化の取り入れた富国強兵を特徴とする、上からの近代化の時代である。文学においても大きな転換期であり、中でも小説という分野では、西洋文学の特色を取り入れながら、日本の近代小説が確立したという点で特に重要である。その近代小説の扉を切り拓くことになった代表作が、森鴎外の初期の名作『舞姫』である。明治22年に発表された鴎外の処女作であり、ベルリンを舞台に、日本の官僚の青年と現地の可憐な踊り子との悲恋を描いた短編小説である。
 この小説が重要であるのは、まず、日本における近代文学の自覚へのきっかけとなったという点である。近世においても小説は存在したが、仮名草子、浮世草子などのジャンルであって、江戸期に勃興した町人文化を反映し、庶民的な題材で勧善懲悪のような娯楽的要素を多分に含む内容として特徴づけられる。しかし、明治を境に、小説は、西洋の先進的な手法を取り入れ、自由や個人といった価値観を重視し、知識人を担い手とする近代文学へと転換が図られることになった。その最初期の小説が『舞姫』であって、後の浪漫主義文学の系譜を啓いた作品でもある。
 また、小説の主題においても、日本における近代を表したものとしての意義を見いだすことができる。作者の森鴎外は、実際にドイツ留学をして、そこで過ごした体験をもとにこの小説を書き上げた。その内容には、西洋に近づこうとする国家において重要な立場にあって、西洋の合理主義を特徴とする近代的な自我の確立を図ろうとする一方で、古い封建的な体制の残滓の中で葛藤するエリート青年たちが描かれている。さらに現地の女性との恋が相まって、自我の中で戸惑い苦悩する青年の姿は、新しい時代の幕開けにふさわしい近代的な主題であり、当時のとりわけ青年たちにとって共感できる内容であったと考えられる。そして、海外を舞台とする小説という意味でも、近代という一つの主題の典型として位置づけられる。
 さらに、文体という点でも重要である。近代文学の成熟とともに、近世から続く文語調の文体から、言文一致が普及していくことになる。近代小説は、話し言葉による人間らしい表現の追求として特徴づけられる。『舞姫』については雅文体が用いられているが、文語体の踏襲という単純な使用方法ではなく、そこには鴎外自身が取り組んだ西洋文学の翻訳の技術が取り込まれている。西洋文学を規範とする近代文学において、西洋的な格調の高さとロマンチックな感情を表現するため、敢えて文語を借りた典雅な文体を用いたというべきであり、地名や事物に一部カタカナも使用することで、むしろ雅俗折衷でつくられた美しい文体といえる。それは近代初期の小説における清新な世界を表す一つの表現方法であって、言文一致体への過渡期として文学史においても意義深いものととらえられる。
 このように、森鴎外の『舞姫』は、構成・主題・文体といった観点から日本文学史における近代小説という分野の端緒を開き、特に後の浪漫主義文学の発端ともなった、まさにエポック的な作品といえるのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?