東洋芸術理論と「気」

 中国の思想において「気」の概念は重要な位置を占めてきており、ある人間がもつ目に見えない気が、かたちを伴った外面に表されるという考え方である。芸術理論においても、その基調となす考え方が「気」の概念であり、作者がもっている気が作品というかたちとなって現れるととらえられる。
 「気」の概念がまず現れるのが、儒教の経典である『礼記』の中の「楽記篇」である。ここで取り扱われる音楽は、古来中国において、士の必修科目である六芸のひとつとしてあげられ、儒教を宗とする知識人の教養とされていた。儒学における考え方としては、音楽はその他の芸術も含めて、それ自体の芸術的価値として追及されるよりも、それを生み出す人物の精神性、すなわち徳が重視される傾向が強かった。そのため、音楽のとらえ方としては、その根源が人の心にあるということが求められる。心が外物に触れることで様々な変化を生み音楽を生み出すが、その人の心と音楽との間を媒介する存在となるのが「気」であると示す。したがって、人の心に正しい気が働きかけられれば善美で調和のある音楽が生み出されるが、姦悪な気が働きかけられれば淫穢な音楽が生み出されると説いた。こうして、「気」を媒介とする「外物」と「作者」、そして感応することで生み出される「作品」という中国思想ならではの芸術の構造が、儒教の観点から提示されたのである。
 この『礼記』は中国における知識人の必読書としてとらえられていたことから、中国の芸術理論の原型として後世に強い影響力をもつことになった。しかし、芸術の中でも、六芸とされていた楽や書などはそのような考え方でとらえられたが、絵画は職人の芸であって、知識人の教養として長い間考えられてはこなかった。こうした芸術にとって重要な「気」の概念を絵画に応用した主張を展開したのが、唐代の知識人であった張遠彦である。
 張遠彦は著書『歴代名画記』において、ある人間がもっている気がかたちとなって外に現れるという気象の思想を根底に置き、絵画における重要な六つの法「画の六法」のうちとりわけ有名な「気韻生動」の考え方を展開した。さらに、物体の形象を写し取る際の筆線のもつ気を「骨気」として表すことで、用筆による気韻の表出を絵画の本質とする議論を展開した。絵画には形が似ていても気韻が伴わないものもあるが、絵画は本来、物体が持っている「骨気」を写し取るものであり、そうすることで自ずと形似は伴ってくる。ここには人間の持っている「気」がそのまま作品に反映されるという気のメカニズムをみることができるが、そのメカニズムには人為的なものが介在しないという特徴もとらえるべきである。「心手相応」とよぶこの人為を伴わない理想的な絵画の姿には、これまでの儒教の思想に基づいた芸術理論に考え方にはない、荘子の思想に基づく考え方も反映されているととらえることができる。
 このように、「気」の概念と芸術との関わりは、儒教の考え方を根本としながらも、老荘思想の無為自然の考え方をふまえながら発展し、中国、さらには東洋全体の芸術理論に大きな影響を与え続けてきたといえる。

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