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検討の枠を狭めない批判的な思考

条件下で考えすぎでは。

データ利活用研修でもDXの研修でも、考え方を拡張させたりマインドチェンジさせる発見を仕掛けながらやっているが、どうしても考え方を変えられない人たちがいる。さて、正論だけでやっても動かんものは動かんので、なんでこういう考えできんかなーとか、そもそもこんなの間違ってんのにどうしてこれやろうとするかねーとか思っていたところであります。
休みの間に構造を整理していたり、生成AIさんと遊んだりしながら出てきたのが、与えられた条件下での解答を考えようとしている、ということでした。
そもそも、その条件って何年前のことよ、誰がどういう意図で作ったものなのよ、本当にそれやるのがいいの?そこの中だけで解答を考えることやりたいの?などなど思うところがあるけれど、与えられたことをやるというマインドだとこうなってしまうのよな。

一度批判的に考えてみる。

クリティカルシンキング(批判的思考)というものがある。検討の質を高めたり、今実施していることが正攻法の方向であることを確認するためにも、「もしかしたら、これよりもこちらの方がよいのでは?」「今はこちらの方が合っているのでは?」「ここまで数値を上げる根拠は?100%ではダメな理由は?」など一度前提を疑うことから始めることで、今までの観点では気が付かなかった本質の問題や、解くべき課題、今の課題の別の対処方法などがあるかをみることができる。これでも、無くて現在の進め方が良いのであれば、それは検証した結果なので、元の方法を進めるのがよいのである。
上司にだって、やるべきことを広く検討してその中で、今に合うものも含めたり、もともとの条件と一部合致するものだったりを提案することだってできよう。もし、それができない上司とすれば、化石なのでそんなものにエネルギーを費やす必要はない。自治体としてしっかりと資料として残し次に繋げるのみ。

何事も人が考えたもの。

聖域などはない。どんなものであれ、人が考えて始めたものである。誰かが変えて、今使っている。となれば、自分の代で再度検討することが悪いことではない。誰にも言わずに黙って施策をしてしまったら、それは問題かもしれないが、色々なケースを提案した上で合意形成(もしくは、ダメと言われること)するのは問題なかろう。
あれはダメ、これはダメと勝手に線を引いて、もう効果のない(あるいは時代が変わったり、打ち手のスジが悪い)ところをいくら掘り下げても答えは出てこないし、価値がないところに価値がありそうに見せかけて持ってきた何者かの案に乗るしか無くなってしまうだろう。これでは、EBPMなど夢のまた夢です。

ビジョンや方針をまずは合わせる。

ダメな方向性に、EBPMということで指標や効果が上がっています!といっても住民からみたら、何言ってんのやら。となるでしょう。
住民と自治体がやりたい方向を合わせて、ようやくEBPMや指標も活きてくるのです。言われたからやる、指示されてるからやる、という人たちはどこの方向をみて仕事をしているのか一度考えてみよう。説明できないけどやるでは流石にダメだろう。なんのためにそれが必要なのか説明できるためには、ビジョンや方針が必要だし、それが討論できるものでなければいけない。

おまけ

孫子の兵法に「将の命を君より受け、君命も受けざる所あり」ってのがある。一度、命令(やるべきこと)を受けたならば、道理に合わない指示などがあっても受け付けないこともある。なかなか自治体の場合、権限移譲とかできていないので、余計に言われたこと・決まった方針のことをやるになりがちかもしれないが、「なんのためにやっているか」をしっかりと意識するだけでも力を入れるところは分かってくことだろう。また、より正しい方向性を考えるためにも一旦批判的になってみる目を持つ。これも視野を広げる方法でもある。

実際に、スキルとしてのデータ利活用やDXをする前に、ビジョンを作り出したり、そもそも何のためのものだっけ?と問えたり、その結果を周囲と合意形成するスキルが大事なのよな。ここから始めることしてみないかい。

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