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もしもし?元気だよ。#母の日



かれこれ3時間は経っただろうか。スタバでせっせと営業資料をつくっていた。

ふと通知が来た。

「あ、しまった」心の中でつぶやいた。

5月8日。今日は母の日。

毎年この日には、照れくさいながらもちょっとしたプレゼントを直接あげていた。
だが今年はそれができない。

というのも4月から、自立を求めて21年間暮らした家を出て、母とは顔を合わせていない。

まだ1ヶ月しか経ってないじゃないかと思われるかもしれない。
たがずっと一緒に暮らしていた娘が、急にスーツケース片手に、「しばらく家に帰らないからよろしく!」と出て行ったきり、顔も見れないのは、母にとっては、緊急事態なのかもしれない。

家を出てから今日まで、ホームシックになるなんてことはなく、とにかく目の前の事業に集中するために、忙しない日々を送っていた。



最近、母との関係性が少し変わったような気がする。


二個上の姉と母は、まるで親友のように仲の良い親子で、いってしまえば、お互いに依存していた。お互いのその関係性に安心しきっている。

姉は母に全部開示するタイプだ。
外出する時は、誰とどこで何をして、という5W1Hをとにかく事細かく話す。母は姉の友人情報は常に最新にアップデートできている。

比べて私は、あまり開示したくないタイプ。
パーっといって、パーっと帰ってくる。母に聞かれたとしても、曖昧に答えたり、適当に答えたり、ちょっぴり嘘もついたりしたこともあったっけ。
そのためか、母は私の最新の情報を知らない。友達も一人か二人くらい知っているくらい。


中高時代、私が家に友達を呼んでいいかと母に聞くと、何かと理由をつけて拒否され続けてきた。

そんな拒否も関係なしに、姉は友達をちょこちょこ家に呼んでいた。
母も楽しそうに姉の友達と話していた。

頭に「?」しか浮かばなかった私は、母に「私の友達じゃなくて、姉の友達だったら家によんでもいいの?」という問いを投げ掛けたら、答えはYESだった。

わからなくもない。素性の知らない人を家にあげたくない気持ちも。
ただ比較基準を姉に合わせることに対して納得はいかなかった。

そんな中で、なんだか「このままじゃいけない」と自立するために、それ以降、好き勝手やってきた。
姉と私で見るんじゃなくて、自分単体で見てほしい。そんな想いで。

そこからいろんなことをやってきた。最初は大丈夫かと何度も言われた。
だがいつの間にか、好き勝手やってる娘に母は何も言わなくなった。



ただ健康でいてくれればいいよ、自分らしく何でも挑戦しなさい、あなたの人生なんだから。



そんな母と私の関係性。
私という人間を何にはめることもなく、見てくれている。

離れてみてやっとわかったよ、あなたの偉大さ、愛。
気づくの遅くなってごめんなさい。

ふと、いっしょの時間という、大切なひとと過ごせる残りの時間を調べられるサイトがあったので、やってみた。
私と母が一緒にいられる時間は 残り74日と23時間

2ヶ月ちょっとか。

スタバを出て、そっと母に電話をかけた。


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