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女性は、男性より能力が低い


弱男☆淘汰


ほんの100年前まで、「女性は、男性と比べて能力が劣っている」というのは常識であった。

ここ数十年、フェミニズムの浸透により女性の能力は男性とそん色ないとされるようになった。
それどころか女性のほうが能力的に優れていると宣伝されている。

現代の常識では、

  • 女性が男性より能力的に劣っているというのは、嘘八百である。

  • 女性のほうが収入が少なかったり、(スポーツや将棋などで)活躍してなかったりしたのは、男性優位の社会に原因がある。
    したがって、男女平等な社会が実現すれば、女性と男性の能力差はなくなる。

  • 男性が不当に女性を抑圧する悪しき習慣は撤廃しなければならない。

となっている。


僕も、最近まで、「女性は男性より劣っている」などということは古い時代の迷信だと思い込んできた。

でも、最近、意見が変わった。


僕は、世間でいうところの弱者男性である。
女性に縁がなく、我が家は僕で末代である。
絶賛淘汰されている途中である。

自然淘汰の厳しさを、この身をもって、味わっているのである。

自然淘汰は、ほんとうに容赦ない。
弱者男性は、ツラいよ。。。。。

ツラい。。。。

ふと、思った。

弱者男性は淘汰されているのに、弱者女性は淘汰されてない。

例えば、メンタル疾患を考えてみるとわかりやすい。

女性がメンタル疾患をもっていたとしても、理解ある彼くんと結婚して幸せになるケースがたくさんある。結果として、子供をつくって幸せな家庭を得て、幸せな人生を手に入れている。結局のところ自然淘汰されていない。

一方で、男性がメンタル疾患をもったとしたら、理解ある彼女など現れるはずもなく、世間は冷たく、社会の片隅で困窮した生活をおくる。ツラく悲しい人生をおくる。
当然のように、自然淘汰される。

男性と女性とでは、淘汰の圧力がまるで違う。


自然淘汰

人間も生き物である以上は、自然淘汰から逃れられない。
劣った個体、能力が低い個体、病弱な個体は死んでしまって、子孫を残せない。

子孫を残すことができるのは、優れた個体、能力が高い個体、頑丈な個体のみである。

それゆえ、世代を重ねるごとに優れた生物に進化していく。

21世紀の日本国でも、自然淘汰は健在だ。
自然淘汰の結果、東京都心部に住む子供たちは、みな美男美女ばかりである(という噂がある)
東京都心部に住めるのは、ごく上澄みのお金持ちと、その妻と子供たちである。お金持ちの妻は美人である確率が高い。その子供たちは、美男美女かつ、頭脳明晰である可能性が高い。
だから、東京都心部に住む子供たちが美男美女ばかりで、能力的にも優れているとしても全然おかしくない。

一般的に、男女で自然淘汰の度合いに差がある。

男性は、妊娠・出産のコストを背負わない代償として、子孫を残すのが難しい。
女性は、妊娠・出産のコストを請け負う代わりに、子孫を残すことが容易である。

男性のほうが、より淘汰されやすい。

もちろん、男性と女性、両方ともに淘汰は存在する。

しかしながら、女性は社会から大切に扱われる一方で、男性は社会から雑に扱われる。

結果、やはり男性のほうがより一層淘汰の圧力を受ける。

男性が劣っている・弱い場合には、容赦のない自然淘汰が働く。
一方で、女性が劣っている・弱い場合には、自然淘汰は男性と比べて、緩やかにしか働かない。

(自然淘汰もフェミニストやったんかい。。。)

結果、女性は弱くても、能力的に劣っていても子孫を残すことが可能となる。

これが、人類の歴史を通じて、ずっとずっと続いているのだとしたら?

男性の能力は上がるだろう。
女性の能力は、男性ほどは上がっていないだろう。

弱者男性(能力的に劣った男性)は速やかに淘汰される。だからこそ、自然淘汰の結果として、男性のほうが女性より能力が高くなる。

いやいや、男性と女性とでは染色体が違うだけで、中身の遺伝子は同じでは?
というツッコミがあるかもしれないが、たとえ遺伝子が同じでも発動条件が異なる場合がある。
男性の場合はAという機能を発現する遺伝子が、女性の場合はBという機能を発現したりする。したがって、外見上は男性と女性の場合で遺伝子が分かれて機能しているようにみえるのだ。

まとめ


男性は女性と比べて淘汰されやすい。
その結果、男性の能力は女性と比べて高くなる。

したがって、
「女性は、男性より能力が低い」といえる。


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