見出し画像

女をカネで買うのはカッコいい

女をカネで買うのはダサい、カッコ悪い?


個人的な話で恐縮だが、「女をカネで買うのはダサい」という感覚がある。
なぜだろう?

いったいぜんたい、この感覚は、どこで刷り込まれたのだろうか?

生まれたての赤ん坊に、女をカネで買うのはダサいなど、そのような感覚はないだろう。
そもそも、カネの概念もよくわからないはずだ。

きっと僕は、マスコミ、テレビ・新聞、ドラマ・アニメ・マンガなど、ありとあらゆるものの影響で、洗脳されたのだろう。

例えば、マスコミでは、風俗店を壊滅させることを”浄化作戦”という。
ドラマやアニメで、決められたストーリー、主に強者同士の純愛以外の性行為が、不幸な結末に終わる。

これらのすべてが、女をカネで買うのはよくない、という情報を含んでいて、それを受け取った僕の脳が洗脳されてしまっているのだろう。

問題は、恋愛活動を通じて女性へアクセスする、この難易度がすごく高いこと。

この世界には、女をカネで買うこと以外で、女へアクセスできない弱者男性が大量に存在する。


親ガチャ、環境ガチャ

自由恋愛の問題点は、以下の図が示すとおりである。
女性は、生物学的に妊娠・出産のリスクを負う代わりに性的価値が高くモテる。
男性は、妊娠・出産のリスクを負わない代わりに、性的価値が低くモテない。


https://jp.quora.com/  より


男性の”モテ”、すなわち女性から見た性的魅力というものは
・リスクをとるアグレッシブネス
・高身長・筋肉質
・社会的地位の高さ
・陽キャ感
・これまでモテてきた実績
・女性に対する慣れ
などである。


逆に
・小さなリスクでも敏感に反応する臆病さ
・低身長・デブ・ハゲ
・社会的地位の低さ
・陰キャ感
・ただよう童貞臭さ
・男兄弟のみで長男
などの要素をもつと、モテない

これらの要素は、主に生まれつきの特性、育った環境の良し悪しに左右されることが多い。

簡単にいうと、男の”モテ”は親ガチャ、環境ガチャに左右される。


女は、簡単に”努力が足りない”などと言いがちである。
それに乗っかったチン騎士たちも同調する。

しかしながら、その遺伝子と環境の格差は、努力でひっくり返せるものなのだろうか?

なお、この努力することすら、ダサい、キモイとして、排除する空気がある。
モテるための努力をさせないように、女性と取り巻きのチン騎士たちが陰謀をめぐらしているのだ。


男の”モテ”は、親ガチャ、環境ガチャによる”運”の要素が大きい。


カネは平等

男の”モテ”に関しては、とても不平等である。

一方で、”カネ”は”モテ”と比較すれば、断然ましである。

頑張れば、誰でもカネを稼ぐことができる。

もちろん、カネも不平等ではある。
親が金持ちであれば、生まれつき大金を与えられたも同然だ。

しかし、しかしである。
”モテ”と比較すれば、カネははるかに平等である。

誰でもカネにアクセスすることができる。
誰でもカネを稼ぐ手段を知っている。

お金持ちや天才などを除いて、通常の一般人にとって、カネを稼ぐためには、努力が、血と汗と涙が必要だ。

その、個人の努力して稼いだカネで女を買うことの、どこがカッコ悪いんだ?

女なんて男の上位3割しか目に入らないじゃないか!

カネだ、カネを使う以外に下位の男が女にアクセスする手段はないのだ。

何ゆえ、女をカネで買うのはダサいなどと言うか!?

女をカネで買うのはカッコイイのだ!


女をカネで買わない 正当性の喪失

「女をカネで買うのはダサい、カッコ悪い」この考えは、昭和時代までは正当性をもっていたと思う。

なぜなら、昭和までは結婚率がきわめて高かったからである。
女をカネで買うということは、その男性の妻や子供、家族に支払われるリソースが外部に流出することを意味していた。

つまり、子供のメシ代や教育資金が減少することを意味していた。家族が貧乏になり、最終的には国が貧しくなる。

富国強兵の観点から、「女をカネで買うのはダサい、カッコ悪い」という道徳を広めることは合理的であった。

しかしながら、令和の日本では、女が本能にまかせて、弱者男性を切り捨てた。その結果、未婚率が急上昇して少子化が進行した。

もはや、民族としての日本人の絶滅はほぼ確定してる。
日本国政府は移民を入れて、日本人は消失しても、日本国は維持する方針をとっている。

この状況で、「女をカネで買うのはダサい、カッコ悪い」とする考えを維持する理由が見当たらない。


まとめ


女をカネで買うのはカッコいい

これが、男にとって、もっとも平等かつ公平に女へアクセスする方法なのだから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?