色々描き続けて

今日のこと

診察の時に

自閉症スペクトラムの傾向のこと

検査をして、

そうでなければ

うつとして

障害年金に値することを話した


そこまでつっこんで話すのは初めてで

わたしは、この生きづらさの原因を知りたかったから

色々調べてはいたけど

実際にお医者さんにそう言われたのはショックだった


想定内だけど、

ショックだった


程度に差はあるにしても

中間のゾーンでも

自覚のない人や

自覚かあっても

いい環境の中でやれてる人もいる


だから、悲観することではない



こだわりの強さや

ひとりでいたいこと

は特に納得する


こだわりの強さは

人を信用していないから

自分の決定を信じていたいし

乱されたくないという思いから


ペースを乱されたくない

イレギュラーなことを嫌うのもそれ


信頼できない人

納得できないことに

ふりまわされるのは嫌だから


もう、十分ふりまわされてきたから


ひとを受け入れるキャパはない


それが生まれつきなのか

成長の過程なのか

分からないけど


それが社会的に不適合な感覚はある


素をだせば

まわりに受け入れられないのは知ってる

人に嫌な思いをさせたこと

浮いた経験から

そうしたらいけないという強い固定観念を、持ってる

だから人に迷惑をかけたらいけないって思うし

結果的に1人が楽だと思う


言葉がきつくなること、

態度が悪くなる事

自由すぎる事


それを出しすぎないように抑えて生活をしてる

その結果

今まで一見大きく集団生活からはみ出さずにきたけど

違和感や我慢やストレスで

人より疲れやすかったり

無気力になったり

落ち込んだりすることが多かったんだと思う


繊細さん、だけの話ではなかった



できるだけ周りから浮かないように

とりあえず学校生活からはずれないように

プライドを保つ事で

わたしはそれなりの学歴で社会に出たけど


本当はずっと人とあわなくてつらかったし

学校も行きたくなかったんだと思う


もし行かないでいいことが許されたら

わたしは行かなかったかもしれない


今のように支援学級に通う選択肢があるなら

自分はそれでも良かったかもしれないと思う


勉強は嫌いじゃなかったし

友達と遊ぶ事も楽しかったけど


お母さんがいないという影はいつも心の中にあったし

そのことで葛藤することも多かったから

思いっきり悲しみを打ち明けたり

なぐさめてもらったり

特別扱いをされたかった


友達と仲良くできない事を理解して欲しかった

もっと寂しい気持ちや悲しい気持ちを誰かに受け止めてほしかった


その思いは社会に出てからも変わらなかったし

わたしの人付き合いに影響してる

人間関係に対する感覚や距離感はやっぱり

普通とされる感覚と違うんだと思う


近すぎたり

遠すぎたり

変わった人とか変な人と思われるんだと思う


だけど、普通に社会生活を送ることをあきらめられなかった理由は

自分が浮いていることを自覚してた反面

それを個性として受け入れてくれた観客もあったからだと思う


田舎の小さい学校だったから

狭い付き合いの中でまわりの子や親の理解が深かったことや

見捨てられないで接してもらったことは

少しだけわたしの自己肯定感につながってる


大人になってみると田舎の近所付き合いとか、世界観のせまさが

いきづらさにつながることもあるけど

それでも自分がここにいたいと思うのは

自分を肯定してくれた人が

少なからずいたからだと思う


それは家族じゃなかったけど

自分の温かい記憶になってる


今までに6回転職したけど

こういう自分を理解してあたたかく接してくださった職場が

3箇所はあった

親身になってくれた上司がいた時は

どっちにしても長くは続かなかったけど

居心地のいい

楽しい記憶の残る職場だった



だから、仕事をすることや社会に出ることを嫌いにはなれなかったし

前の職場でけちょんけちょんになったけど

働くことに対して

絶望には至らない


自分のことを理解してくれる人がいれば大丈夫という思い込みなのか

確信は捨てられずにいた


結婚して

なかなか旦那に理解してもらえなくて

そんな人と一緒に生活をしていることはつらかったし

喧嘩する度に神経が振り切れるぐらいダメージを受けたけど

話し合いは無駄じゃなかったと思う


自閉症スペクトラムかもしれない

その傾向が強いかもしれない

まだ中間なところにいるかもしれない


でもおそらく

それがどうこうじゃなくて


それ自体が問題なんじゃなくて


そのことで生じるまわりとの摩擦とか

ストレスで落ち込んだり疲れたり

生きていけなくなることが問題なのであって


それ自体は別に自分がストレスだと思わなかったり

気にしなかったら問題にならないんだと思う


実際、鈍感な人ほど楽しく生きてるし

敏感でも受け流していけたら、やっていける


わたしが欲しかったこたえは

自分が発達障害かどうか

じゃなくて


こういう自分でも生きていけるかどうか

だったんだと思う



こんな自分を

どうやって肯定したらいいのか分からなくて


ただまわりから浮く事や嫌われることが怖くて


どう振舞って良いか分からなかった


どう振る舞うのが正解なのか

どう振舞ったらアウトなのか

そのことが気になって悩んできた


だけど、自分が持ってる本当の自分を社会で出したとしてもやっていけるとこではやっていけるし

出したらいけないとかでは出さないとしても

そういう居心地のいい場所や人間関係を築けたら

わたしは楽しい記憶を過去の思い出だけじゃなくて

これからもそういう楽しい時間の中で過ごせる可能性がある


そのことは、わたしにとって自己肯定感につながるし

希望でもある


どう考えても素の自分でいたらまわりに迷惑をかける自分を

なりふりかまわず曝け出す勇気はなかったし

平常心を保とうとしても

怖くて不安になった


頑張りすぎるとつかれて、落ち込んで

感情の上がり下がりがコントロールできなかった



まだはっきり確信しているわけじゃないけど

たぶん、

わたしは大丈夫なんじゃないかなと思う


中間の中でやれるかもしれない

社会の中での自分をどんな風なところまでだったら許されるのか

違和感を抑えられるのか少し分かった気がする

個性の出し方が少し分かる気がする

分かってないかもしれないけど



今まではどう振舞ったら良いか分からず

自分を肯定して欲しくて

さらけ出したくて

認めて欲しかったけど


それは身内だけ、出しても良いところに

理解してくれるところで


その判断を間違えなかったら

いや、たまにら間違えたとしても


浮く、嫌われる、クレイジーだと思われる

ことはなくなる?少なくなると思う


結果的にまわりとの摩擦やストレスが減って


生きやすくなるんじゃないかと思う



わたしがずっと欲しかったのは

大丈夫だって思える理由で


ただ自分を肯定するというよりは

肯定してもいいという確信だったんだと思う


社会で生きることがどういうことなのか

協調性や集団の中っていう自分が苦手とする世界で

どうやったら大丈夫なのか

どこまでが大丈夫なのか


少し理解できた気がする

たぶん、知らんけど。



病気や障害自体は問題じゃないんだろうな

どうやってまわりとうまくやるか

ストレスを減らせるか

理解を得られるか

納得できるか


どうやったら相手を不快にさせないかとか

話し上手になるかとか

コミュニケーションが上手になるかとか

目を見るかとか

前向きでいられるかとか

ポジティブになろうとか

切り替えようとか



そういう細かいことよりも

自分は

そんなことだったとは、という感想です


ぼやっとした内容だけど

なんとなく伝われば良いな


とにかく、

生きづらい人もしんどい人も

あなたは悪くない!

かといってまわりが悪いとか責任の話じゃなく、

理解の得られる生きやすい場所で

自分の味方でいてくれる人を見つけるといいのかもしれない


周りの人を否定するわけじゃないけど

そのままの自分を肯定しながら生きていく事ができるかもしれない

大丈夫ってことを伝えるにはどうしたらいいのか

次はそんなことも考えながら

明日も中間な人間なりに

開き直ったり

少しまわりも見てみたり


そんな自分を肯定して、

くよくよしなくていいような

楽しい、明るいでいれたらいいな


#うつぬけだったらいいな



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