こういう人だという落とし所

人を受け入れられない

欠点を許せない

切り替えられない人間関係があるとき


こういう人なんだって思ったら良いよって人に言われたことがあるけど

その感覚が良くわからなかった


頭で理解しようとするこういう人だ

というのと、

どうしても理解できないこういう人だっていうのは

もう果てしなくイライラしたし

切り替えるどころか

思い出すたびに

同じ気持ちを思い出してモヤモヤしたり

悔しくなったりした


わたしの理解できない人がこの世にはいっぱいいるであろうことも

なかなか分かってるようで分かってないような

腑に落ちない感覚だった


今日はじめて

人に対して、

ああこの人はこういう人なんだと思った


私の嫌いな陰口や悪口も含めて

たぶんそうやって受け入れながら言ってんだろうなと思った


陰口や悪口は相変わらず嫌いだけど

そこには悪意だけじゃなく


こういう人だなぁという共感の会話がうまれてる

おそらくけなすや文句言うとも少し違うような

ある意味社会やコミュニティの受け止め方のひとつとして

そういう会話を身内に近い関係で話すんだと思う

本当は心の中にしまっといたほうがいいと思うけど

この辺の人はわりと言う

言っていいことにしてる

そこに悪意がないと思ってる


わたしはそこに混じれないし

一緒に言わない分馴染めないと思う


だけど、そこには悪意ではなく

受け止め方の一つとしてそういう会話がある可能性があるんだと思う

だから、わたしも

そうやってこういうところがあるよなって

無理に理解も肯定もせず

流せたらいいのかもしれない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?