ワールドカップで負けるということ

サッカーワールドカップ2014ブラジル大会が開幕し、日本は敗戦からのスタートになった。

自分のタイムラインやフィードを見ていると、さすがにぼろくそ批判している人はいない。そういう人としか友人になってないし、フォローもしていない、ということだろう。ほとんどの人が「残念だが、切り替えてギリシャには勝とう」という投稿をしていた。それでもリツイートされて流れてきたものの中には、かなり辛辣な言葉で批判をしているものも見受けられた。

五輪と違って、サッカー選手は純粋にプロ集団なのだから、負ければ批判されるべきだと私は考えている。
「一生懸命やったんだから、負けたからといって批判するのやめよう」
という声もある。気持ちはわからなくはない。しかし、結果を求められるプロフェッショナル集団に対してそれは失礼だ。彼らはアマチュアではない。そんな甘やしをしてはセルジオ越後さんが怒り出すだろう。負けても批判を浴びないような選手が世界で闘っていけるはずはないのだ。

ただし、「負けたら」である。ワールドカップにおける負けは、一戦ごとの結果ではない(決勝トーナメントにいけばそうなるが)。ワールドカップの開催地から去るときが「負けたとき」である。一試合負けたくらいで騒いでも仕方がない。

前回の南アフリカ大会の優勝国・スペインは、初戦のスイス戦を落として、それでも優勝した。逆に、アトランタ五輪の日本は、ブラジルに勝つという「マイアミの奇跡」を演出し、予選リーグ2勝1敗にもかかわらず、決勝トーナメントに進めなかった。そんな例ならいくらでもあげることができる。

ギリシャやコロンビア、特にコロンビアに勝つことが厳しいと思っている人が多いと思うが、何が起きるかわからないのがサッカーだ。10回やれば7回は負けるだろうが、一発勝負はどうなるかわからない。それが証拠に、逆の立場、アジア予選での日本はどこにも負けずに勝ち上がってきたののだろうか。そんなことはない。ヨルダンに負けたではないか、オーストラリアに負けなかったというのに。

2勝1敗・勝ち点6でも決勝トーナメントに進めないこともあるし、1勝1分け1敗・勝ち点4でも進めることがある。いくら机上で計算しても最後の最後までわからないのだ。

だからいまは、決勝トーナメント進出を信じて、全力で応援したいと思う。批判をするのは彼らがW杯を持たずに日本に帰ってきたときからでいい。

PS
そして負けて考えたこと⇒ ワールドカップで負けるということⅡ

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