愛のろくでなし

甲斐よしひろ 愛ろくでなしツアー 2015 in Zepp Tokyo

「そうきたか!」

2曲目、「電光石火BABY」のイントロが流れた瞬間にそう思った。

実は甲斐よしひろのソロライブに参戦するのは25年ぶりだ。2008年のバンド再活動開始以来、バンドクレジットのライブにはこまめに足を運んできた。薬師寺にも足を延ばした。しかし、ソロは、ビルボード東京のスペシャルライブ(アコーステック ギグ)を除くと、90年の新宿厚生年金以来だったのだ。

バンドと同じようなセットリストだったら嫌だな、と思っていた。それをいい意味で裏切ってくれた。

松田聖子への提供曲「ハートをROCK」、ソロ活動第一期の名曲「レイン」「ミッドナイト プラスワン」「エキセントリック アベニュー」、ライブで聴くのは本当に25年ぶりだった。

Kai Fiveの「嵐の明日」そして「風の中の火のように」も演った。バンド名義の曲も「地下室のメロディー」「3つ数えろ」そして「暁の終列車」。最近はほどんどライブでやったていない曲がほどんどだった。

オーディエンスの中には、いつものバンドのときのようなセットリストを期待している人もいたかもしれない。何を期待するかは人によって違うだろうから。

一応、「安奈」と「漂泊者(アウトロー)」と「HERO」は演った。「HERO」は余計だったように思う。まあ「おまけ」だと考えればいいのかもしれないが。オーラスに持ってきたのはそういう意味かもしれない。

バンドとソロの違い。甲斐よしひろはこういう形をやりたかったんだと思う。86年にバンドを解散することなく、ソロもやっていく、そんな形をやろうとしていたに違いない。

「ポリスとスティングのような関係」でバンドとソロを両立したい、という意味のことを言っていたことを思い出した。結局、バンドが解散してしまったのでその形は作れず、ソロだけで活動を始めた。その時期、迷走しているように見えたことがある。

「バンドを解散してしまったのだから、ポリスとスティングではなく、もっと堂々とバンド時代の曲をやるべきだ」と思っていた。

でも今は、バンドも活動している。バンドとソロを両立させることができるのだ。ずいぶん遠回りをしたし、新譜を書かないことに不満がないわけではないけど、それでも40年の歴史の中で、バンド時代だけでなく、ソロとしても(ヒット曲はないけど)名曲を残してきたからこそ、60歳を超えてこうした形が作れたのだ。

あと何年、歌い続けてくれるかはわからない。でも、ミックやポールのように、いや同じ日本人でもムッシュや拓郎や矢沢のように、甲斐より年上がまだまだ活躍している。バンドとソロを両立させて、まだまだ走り続けることを期待している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?