2023.02.09



人が好きだ。

自分と関わってくれる人を認識するたびに嬉しくなる。

自分のツイートがいいねされるとか、noteが読まれるとか、たまに出社したときにたった一言「お疲れさまです」と声をかけてくれる同僚の存在とか、職場の近くのコーヒー屋さんでコーヒーを買ったときに「良い一日を」と挨拶されるのとか、全部嬉しい。

我ながらなかなかに些細なことで喜べる人間だなあと思うけど。



……という前置きを置くと矛盾しているように見えるが、人間が怖い。


道ですれ違う人はみんな悪意を持ってわたしを殺したり拐ったりするんじゃないかと思ってしまうし、コンビニやスーパーを歩いているときに店員さんを見かけると邪魔だと思われてるんじゃないかと不安になる。

上手に注文できなかったら嫌だなと思うと飲食店に入れないし、ひとりで外にいて「声掛けられ待ち」みたいに思われるのが嫌で外にも出たくない。

帰り道に出会った人がもしも悪意を持ってわたしをつけてきたら部屋に入ってこられるかもしれないと思うと家に帰るたびに動悸がするし、人をごはんに誘って断られるのが怖いので自分から声を掛けられない。
「飲み会やります」と言われても「わたしが行っても迷惑かな」と思って遠慮してしまう。

先月社交不安障害と診断された。


あらゆる人を敵だと思っているからこそ、自分に好意的な感情を示してくれる人が本当に好きだ。

好きだけど、相手はきっとわたしのことをそんなに好きだと思っていないし、迷惑かな、と思うと「好き」の気持ちを伝えることも上手にやりきれない。
情けない話である。








新卒で今の職場に勤めてもうすぐ4年目になる。


就職で上京してきたその瞬間1度目の緊急事態宣言が発令されて外に出れなくなった。
リモートワークが一気に業界の主流になり、自分も特になにひとつ差し障ることなく仕事をしている。


そんな中でもいろんな人と関わりを持った。

新卒で入ってすぐにメンターとして知り合った先輩に「もう本当に生活ができないんです、料理も全部無理です、朝とか起きれないしもうダメ」みたいな話ばっかり聞かせた。

入社するきっかけになった先輩と共通のゲームの話題をしながらスイーツを食べに行ったり、趣味の合う同期と音楽CDやライブBDを貸し借りし合ったりした。


冒頭に話した通りわたしは個人的に誘われない限り外に出たり人と一緒に食事をしたりできないから、どの先輩も同期も後輩も、わたしよりずっと交友関係が広いし、多分わたしのことは「特に強い関わりはないがたまにコミュニケーションを取る同僚」程度に思っている、というのは別に自己評価の低さでも何でもなく、間違いないと認識している。

それでもわたしの世界では「数少ない自分に好意的な(≒悪意を持っていない)人」として驚くほど重要で、多分向こうから向けられている好意の10倍はそれぞれの同僚のことが好きだ。




自慢ではないが、自分のことはそれなりに仕事ができる方だと思っている。職場での評価も高いし、学生の頃は売り手市場の業界の、さらに上位層として就活をしていた。


それでも全部が順風満帆だったわけではなくて、学生の頃精神的にままならずまともに身動きが取れなかった頃にエンジニアリングのバイトをしていた会社をやめるときは最終面談で「君みたいな人間はこの業界でやっていけないと思うけど、頑張ってね(笑)」とバカにされたのを覚えている。

インターン先を探していたときも最後まで受け入れ先が見つからなくて、ストレスと劣等感で胃と味覚をダメにして1週間ぐらい何も食べれなかったこともあった。


そんな中で自分を受け入れて、必要として、価値を見出してくれた今の職場には本当に感謝しているし、学生時代1ヶ月だけ内定者インターンとして働いた最終日に感極まって泣いてしまった覚えがある。

そのときにも「そんなにチームを好きでいてくれてるとは思ってなかった」と言われたから、やっぱりわたしは他人への好きの気持ちが重くて、その上表現するのが苦手で、ままならない人間なんだと思う。








差し迫って現職を辞めたいというわけではないが、自分にとって都合のいい話が流れてきたら転職するのもやぶさかではないな、と思い転職活動を始めた。


もしもわたしが転職を決めても、それを止めてくれるほどわたしを大切に思っていてくれる人は今の職場にはいないと思う。

個人的に連絡先を聞いてくれる人もいないかもしれない。


それでも転職することを想像して、ひとりひとりお世話になった同僚の顔と、挨拶すること、お世話になった思い出、もう二度と会わないかもしれないことを考えると悲しくて泣いてしまった。

想像して涙が堪えられないほど悲しいくせに、結局自分は明日も職場に顔を出すどころか家すら出られないし、もし本当に転職を決めても「最後によかったらランチご一緒しませんか」と誘いの声を掛ける勇気すら持てないと思うと、それもまた情けなくてさらに泣いてしまう。


なんか昔からこんなことばっかりだ、クラスメイトや先輩、後輩、同僚、別れを思うと泣いてしまうほどに大切に思っているのに人と関わることを怖がるあまり誰もがわたしのことを「人間関係にドライな人」「人との関わりを好まない人」「他人に興味のない人」だと思っている。



社交不安障害、と診断名が付き、通院治療をしている。

いつかこうやってすれ違ったまま一方通行の好意を伝えられずに別れを迎えることがなくなるだろうか、それともこの引っ込み思案を病気のせいと言うのは甘えだろうか、どちらかはわからないけど、少しずつ人と関わることの恐怖を克服していけたらそれでいいな。


……みたいなことを悩んでは、まあ、どちらにしても自分にできることは正しい努力を重ねていくことだけだよな、と向き直る毎日を繰り返している。

先は長い。

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