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教会の聖書通読、マルコによる福音書9章から導かれた御言葉(自分自身の内に塩を持ちなさい)

教会の聖書通読、マルコによる福音書9章から導かれた御言葉は

「霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」
その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」」

(マルコ9:22,23,24)

「イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた。」

(マルコ9:29)

「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わし になった方を受け入れるのである。」

(マルコ9:37)

「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ご しなさい。」

(マルコ9:50)

主よ、私を出来ればではなく、完全に信じる者となれるように、聖霊様によって導き守ってください。

「自分自身の内に塩を持ちなさい。」とは、どいうことなのか、いろいろ調べたり、考え、祈りました。
塩は防腐剤にも、調味料としても、また清めにも使われます。
この御言葉から、サタンや罪の誘惑により腐ることから守るための防腐剤、人生を豊かにするための味付け、つまり、御言葉のことですね。
そして、御言葉が心や魂の清めになるのですね。
律法学者やファリサイ派の人々のように神の愛より、律法を重んじすぎるとしょっぱくなり、薄すぎると世の誘惑に負けてしまいます。
だから、自分の中に塩(聖霊による御言葉の導きと守り=清め)を持って、互いに平和に過ごしなさいということなんですね。

導かれた御言葉から聞きたい賛美は
「主は良いお方」

みなさまの1日が守らますように🍀



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