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5月14日の礼拝メッセージ「人生の助け手」

5月14日の礼拝メッセージは関西学院長・神学部教授の中道基夫先生が、サムエル記上 3章1~20節から「人生の助け手」という宣教タイトルでしてくださいました。

今日は教会付属の幼稚園の入園進級感謝礼拝でした。
礼拝堂には園児たちの小さなイスが並べられ、園児たちは短い聖句を発表したり、元気よく返事をしたり、可愛い姿を見せてくれ癒されました。


今日の宣教はサムエル記から育児の難しさ、主に委ねる大切さを話してくださいました。

この聖書箇所はサムエルの母がラビ、エリのとに預けられ仕えていました。
エリはサムエルの母が預けるくらいなので立派な人格者だったのでしょうと中道先生。
しかし、エリの息子たちは神に背き、社会的にも悪人と呼ばれるようなことをしていました。
3章では神がサムエルに初めて呼びかけ、エリにエリの子を打つことを伝えるよう言います。

私たちにとって一番難しく、しかも避けて通れないのは、子育てではないでしょうかと中道先生。
子育てが難しいのは、正解がないということです。
結構自分はいい親だと思っていても、その「いい親」「完璧さ」が子どもにはプレッシャーになるということもあります。
じゃあ、その逆の子育ては適当なほうが良いのか、そうでもないことがやはり多く、このどうしようもない不完全さを補うために助け手が必要です。
しかし、自分が親なんだし、大人なんだし、助け手なんて必要ない,自分たちで十分出来ると思ってしまうところに、間違いがあるのではないでしょうかと中道先生はおっしゃいます。
子宝、安産ということも、自分ではどうにもならないので、神頼みをしますが、生まれた途端に自分1人でなんとかしようとしてしまいます。
私たちに必要なのは,どこに私たちは助け手を求めるか。
そしてその助け手と私自身がどうつきあうかです。
それは自分の思い通りになる僕ではなく、私たちに語りかける神様であると聖書は語っています。

そもそも私たちは自分自身で自分さえコントロール出来ていないのではないでしょうか、それなのに子供をコントロール出来るはずがありません。
でも、幼稚園や学校の先生、地域の方々、神様から助けられ、いろんな人にそだててもらう、その中で子どもたちは、いろんな人がいて、いろんな人に支えられていることを知っていくのではないでしょうか。
また、私たち人間には限界があり、その限界をまずは受け止め、神様に委ねていくのが大切なのではないでしょうか、それは子育ても同じで、母親はこうあるべき、父親はこうあるべきという理想象のプレッシャーや苦痛からの解放であり、健全な子育てに導かれていくのではないでしょうか。

最後に自分はもう子育ては終わってしまった、そもそも子育ての必要はないと仰る方もいらっしゃると思いますが、この世界に生きている限り、子どもはいるわけです。2022年の出生数は80万を下回ったということですが、これが0になるという社会には私たちは希望を見出すことが出来ません。
子どもが必要ですし、今日は母の日で、すべての人が親がいてなんらかの形で「子育てられ」ているわけですと中道先生。

私には5人の子供がいましたが、病気で亡くなったりしたので、今は3人の母親です。
でも、子育てに関しては、まったく自信がなく母親だなんて、それこそプレッシャーに押しつぶされそうで自分からはとても言えないて感じです。
でも、キリスト教に出会い、イエス様が助け手になってくださると祈り、委ねてきました。
子供たち、特に娘たちは、そんな私に苛立ったようですが、私に似ずにしっかりしていますし、息子は素直な子で神様に感謝です。
親子共々、まだまだいろいろあるでしょうが、主に祈り委ねいきたいと思っています。


今週の賛美は礼拝で聖歌隊が賛美した
「君は愛されるために生まれた」
大好きな賛美です。

皆さまの1週間が守られますように🍀

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