見出し画像

教会の聖書通読、ヨハネによる福音書19章から導かれた御言葉(あなたたちが引き取って、十字架につけるがよ い。わたしはこの男に罪を見いだせない。)

教会の聖書通読、ヨハネによる福音書19章から導かれた御言葉は
「祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。
ピラトは言った。
「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよ い。わたしはこの男に罪を見いだせない。」
 ユダヤ人たちは答えた。
「わたしたちには律法があります。
律法によれば、この男は死罪に当たります。
神の子と自称したからです。」
 ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、
再び総督官邸の中に入って、「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。」
(ヨハネ19:6~9)

「 イエスは答えられた。
「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。
だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」
(ヨハネ19:11)

ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。
それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。」
(ヨハネ19:19)

「ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。
しかし、ピラトは答えた、「わたしが書 いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。」
(ヨハネ19:21,22)

この聖書箇所を読んで、裏切った弟子のユダと、このユダヤ人たち、どちらが罪が重いのだろうと考えましたが、もう一つ、双方がこのような態度を取らなければ、聖書は成就しなかったし、キリスト教は起きなかったでしょう。
すべてが神のご計画であり、パラダイムシフトというか、誰にも止められない大きな流れの中で起きたのでしょう。
それから2000年くらいの時間が流れた今、私はこのことを含めたキリスト教の教え、御言葉を信じているのですから、不思議というか神様の御業の偉大さを感じています。


導かれた御言葉から聞きたい賛美は
「いばらの冠」

みなさまの1日が守らますように🍀

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?