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5月7日の礼拝メッセージ「アッバ父よ」

5月7日の礼拝メッセージは関西学院大学人間福祉学部教授・宗教主事、嶺重淑先生がマタイによる福音書6章9~13節から「アッバ父よ」という宣教タイトルでしてくださいました。

嶺重先生は先月の受難週の礼拝(4月2日)で「ゲツセマネの祈り」において取り上げられ、主イエスは苦しみの只中で神に「アッバ(父よ)」と呼びかけられた話をしてくださいました(マルコ14:36)。
「アッバ」は当時のユダヤの民衆が日常的に用いていたアラム語の表現で、これは決してかしこまった言い方ではなく、自分の父親に対する親しみをこめた呼び方だそうです。
日本語にすると「お父ちゃん」て感じでしょうかね。
そして主イエスが弟子たちに教えられた「主の祈り」も元来はアラム語で唱えられ、冒頭の父への呼びかけの言葉も「アッバ」が用いられていたと想定されるそうです。
その意味でも、主イエスは弟子たちに対しても、神に向かって「アッバ」と親しく呼びかけるように教えておられると嶺重先生。

しかしながら、毎週の主日礼拝でも唱えられる「天にましますわれらの父よ」という「主の祈り」の冒頭の呼びかけは、非常に荘重で厳粛な響きをもっているだけに、ひょっとすると私たちは、そのように呼びかけつつ、いつの間にか神様を遠いところに追いやってしまっているのかもしれないとも嶺重先生は仰います。
しかし主イエスは私たちに対しても、神様を遠く隔たった存在としてではなく、私たちのすぐ近くにおられる身近な存在として意識し、親しく語りかけるように求められていると嶺重先生は締めくくられました。

そして嶺重先生は、そもそも神様は男性なのだろうか?
神様を人間的な目線で考えることは出来ない。
神には父性も母性も越えた大きく深い愛をお待ちなのだからと仰っておられました。

私は主なる神様やイエス様を身近に感じていただろうか?
やはり、どこか自分からかけ離れた遠いところに感じていたかも知れません。
でも、聖書通読や祈りを日課にしてからは前より身近に感じられアッバ的な思いで祈ったり、語りかけることが出来るようになりました。


礼拝で賛美した賛美歌は
「主の招く声が」

皆さまの1週間が 守られますように🍀

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