10/3 防衛的悲観主義と僕なりの処世術
防衛的悲観主義をご存じだろうか。
ネガティヴなほうに自分のステータスを見積もっておけば、結果から得られる報酬が相対的に多くなって嬉しい。そういう考え方。
僕の自己肯定感が低い理由の説明としては2つあると思っている。「シンプルに自信がないから」
「防衛的悲観主義をとることで任意の結果から得るストレスを最小限にしたいから」(上手くいけばそれはそれでおいしく感じるようにしたいから)
防衛的悲観主義という言葉に出会ったのは、学生時代に家庭教師をしていた時。国語の問題として採用された文章のテーマがこれだった。
(小学生がこんな難しい概念を相手に問題解くのすごい。都会怖い)
このブログの中で自分のことを不安・不満駆動型の人間だと形容したが、不安駆動と防衛的悲観主義とのシナジーがあることについて述べたい。
自分の実力を低めに見積もると、目標と自己とのギャップから自ずとストレスを受け、それが原動力になっている。燃料のエコシステムを築いている。
他人に期待されるのが苦手だ。失敗した時に分かりやすく失望されるから。
それだったら最初からスペックがないと思われていた方が得だと思っている。
(しかし分かりやすく舐められるのも嫌いなので僕という人間は実に面倒くさい)
したがって、自分への期待を可能な限り低減して保険を掛けるべく、周囲の人間に弱みを見せていきたい。とはいえ弱みを人に見せられるほどオープンな性格でもないから、余計に困ったものだ。
なんというか自然に弱みを見せられるというか、人と信頼関係を築くのが上手な人間が羨ましい。
弱みを過剰に演出することは時として妬みに繋がるので気を付けなければという自戒もある。
例として、学科を首席で出るようなどう考えても有能な友人の話を少々。
主席なので言うまでもなく超が付くほど優秀な人間だったわけだが、就活と修論の時期に一生防衛的悲観主義を発揮してXで大暴れしていた。
「修論落ちる気しかしない」「企業に拾ってもらえる気がしない」
こんな感じのツイートを1か月単位でずっと続けていたので流石に見ていられずミュートしたが、この経験から他人のフリみてわが身を直そうと思った。
ていうか、俺もブログでやってるじゃん。まあ僕はヤツのスペックには到底及ばないわけだが、このブログの内容で誰かに嫌われている可能性はゼロではない。
謙虚と嫌味は紙一重で、弁えようと思います。自虐も行きすればウザい。
防衛的悲観主義と不安駆動のシナジー。用法容量を守ろう。
さて、前置きが長くなりましたが、最近の不安を吐きだします()
10/13にDBスペシャリストという資格の試験を受けるが、今のところ受かる気がしていない。まさに不安塗れ。最近しんどい。
しかも試験日が近づいてくるにしたがって仕事の量がちょっと増えたり、出社をせざるを得ないタスクがいくつか湧いてきたり….。何かの陰謀?
落ちたら落ちたで来年受ければいいかという考えもあるが、また勉強しなければならないというのは面倒。
そして何より、試験に落ちるというのは極めて惨めで、屈辱的で、辛い。
自分が最も恐れるところである。
だから一発で合格したい。
寝る前の頭の整理のためにブログを認めだしたはずなのに、不安について書いている間に多少イライラして逆に覚醒してきた。ここまでで一回校正を挟む。
…….
QUBIT聴きながらここまでの文章を校正していたら落ち着いてきたし、思考の整頓も進んだように思う。すっきり。これで寝られる。
Big MouthとG.A.D.とMr.SonicとDistance Danceがおすすめです。
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