5/27 僕にとっての「自分探し」
多くの人にとっての「自分探し」とはこのweblio辞書に書かれている解説の通りなんだと思う。
「自己」を構成する要素を見つけること、一生を全うするための「大義名分」を見つけること、そんなところだろう。
でも僕にとっては恐らく違う。
僕にとっての「自分探し」は、「他人の中に自分と同じものを見つけようとすること」、あるいは「自分と異なるものを遠ざけていくこと」なのではないかとふと思い始めた。
ある目標のもとに人が集まって行動を共にするとする。
このとき、この目標についてメンバー内でよく認識のすり合わせをしておかないと誰かが不幸になることは言うまでもないだろう。
目標についての擦り合わせができていたとしても、どのようなルートを辿るかですれ違うこともある。
思考は個々人の中で独立して起こるわけだが、もし集団として何かを成し遂げたいのであれば、思考を言葉というインターフェースを使って出力し、周囲との間で合意を取る必要がある。
バンドという集まりでも、同じゲームをプレイする仲間でも、会社でもそうだ。どれだけその活動にコミットできるかがメンバーの間でよく話し合われていないと不和が生じる。程度の差はあれど誰かが不幸になる。
これまで自分がサークルでしてきた経験がこの考えを強化していったように感じる。(この経験については「個人主義」についての記事で書こうと考えている。)
上昇志向の人もいれば、楽しくやれたらok!みたいな人もいる。こういった意識、行動の面ですれ違いが起きたときのストレスはバカにならない。
(※どちらが良い悪いという話ではない)
人とチームを組んで何かをするとき、僕はこういったコミュニケーションによるストレスを避けたいと感じる。
いつしか「この集まりの構成員が全員自分だったらどんなに楽だろうか」ということを考えるようになっていた。
若干の脱線にはなるかもしれないが、何とは言わない某アプリでパートナー探しをしている。
趣味や価値観などのステータスを設定し、自分と近い考え方の人間を探すことができる。
そこでもやはり僕は「趣味、価値観などが可能な限り自分に近い存在」を探していることに気が付いた。パートナーを探そうとしているのに自分と同じ、極端に言ってしまえば「自分そのもの」を探しているのだ。分かりやすい自己矛盾だ。
僕はいついかなるときも自分と性質を異とする存在を遠ざけ、否定しようとしている。
僕にとっての「自分探し」とは、「自分でないものを遠ざけ、自分と似たものだけで周囲を構成すること」なのかもしれない。
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