6/12 人見知り王

今日も人間関係がきついという自分語りです。


4月から社会人として新しい環境にぶち込まれて、よく分からない人たちとよく分からないままにコミュニケーションを取らされている。それが僕には苦痛で仕方がない。

僕は基本人間とはゆっくり仲良くなろうとするタイプの人間で、交友関係も広くはない。

初対面の人間も苦手だし、共通の話題がないととにかくきつい。互いのことを知ろうと探るフェーズも苦手だし、大体の場合他人に興味が持てない。

会話のデッキがそもそも少ないのもある。僕のデッキの構成は映画と歌だけで、他の人はアニメとか漫画とか、邦ロックとかもっと汎用的なデッキを使っている。

僕にはそれがない。

会話のデッキが刺さらないとき、みんな日常で体験したことを話しているが、僕は自分の話を面白いと思ってもらう自信がないので大体黙っている。


僕は最強の人見知り王です。

共通の話題がない状態の、ふわふわした会話の居心地の悪さが極めて苦手である。

まあ、共通の趣味があったとて会話が続くかどうかはまた別問題なんですがね。

あと、会社で「みんなと仲よくしよう!同期は大切!」みたいな風潮が苦手である。興味を持てない人間とどうやって仲良くしろっていうんだという怒りもある。でも実際には他人と馴染めず孤立を感じる自分も嫌いだ。八方ふさがりですね。


最近殊更きつかったのは、僕と同じ部署の配属になった同期(以後"D)とのやり取りである。

配属内示が出たその日にDは僕にlineを送ってきたのだが、まだ会ったことすらないのに

「これから敬語禁止な(笑)」

急に言ってきたのだ。

ああ、これ無理だわ。

ボキッと心が折れた。距離の詰め方がもう無理。

僕はこの人とお仕事をしなければならないようです。助けてくれ。


人間の悩みごとの大半は人間関係から発生するという考え方がある。これは精神科医の名越康文先生が著作や動画でよく言われていたことだ。

(再現性問題のせいで)心理学はほとんど信頼していないといつかのnoteに書いたが、この考え方にはなるほどと今でも思う。


別に人と仲良くしたくないわけではない。多分仲が良いほうがいいことが多いだろうし、コミュニティの居心地がよくなっていきやすくなること間違いなしだろう。

そんなのは分かっているが、どうやって仲良くなるか方法が分からない。面倒だから動けないし、動かなくていいかとなってしまう。

そういう意味では、自分で望んで孤立しているのが客観的な事実ですね。


こんな僕でも友達と呼べる方々がいるのは幸いであるが、果たして今までどうやって人と仲良くなってきたんだろう?という問いに頭のリソース全てが割かれることがある。

長い間同じコミュニティにどっぷりと浸かって、ぬくぬく過ごしてきたので新規の人間関係の構築方法が分からなくなった。


中学生の時に同じような感覚に陥ったことがある。

ある時突如として、何の前触れもなく、「これまでどうやって人と話してたっけ???」という思考が湧いてきて、以来対人関係がきつくなった。脳の中の配線がプツリとキレたか、組み変わったか分からないが、人と話すのって難しいんだと思うようになってしまった。


それまで会話を苦手だと意識したことはなかったから、とても混乱した。親友との会話もどこか気まずさを感じるようになり、いてもたってもいられなくなった。

誰か友人と仲たがいしたとか直接的な原因はなかったと思う。少なくとも外界からの影響ではなく、もっと内的ななにかが僕をそうたらしめた。

知らず知らずのうちに対人関係への苦痛が積み重なっていって、それに耐えきれなくなっただけなのかもしれない。


とにかく、人が苦手だ。苦手じゃない人と苦手な人がいるが、そのパターンについてはまだ自分でもよくわかっていない。


こうやってグチグチグチグチnoteを書いているのも、社会人生活にまだ慣れきっていないからだとは思うが、これが続くようならまたいつかぶっ壊れる気がする。はけ口としてnoteが機能しなくなるまでは耐えられると思う。多分。

はやく高次元にアセンションしてえよ。

僕が居心地がいいと思うコミュニティは、どんなに適当なことを言ってもそれが許容されるコミュニティです。

でも一般社会でそれをやると頭がおかしいやつだと思われるのでできません。

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