「傘の尖り」(補訂)

☆当時の上演台本そのままでの公開をためらい、いくらか改訂しています。
いずれにしても拙いものですが若干だけ読みやすくなっています。

☆上演権を含めた著作権は水野はつねに帰属いたします。
ご購入後も、上演をご希望の場合は必ず水野までご連絡くださいますようお願い致します。

***

【登場人物】
黒田マナ――十七歳、高校生
トガリ――群れからはぐれた"くらげ”。

黒田ナオミ――マナの母。ある宗教の信者
吉田たみ――高校の国語教師。マナのクラスの古典を受け持つ。マナとモモの所属していた文芸部の顧問
鈴木モモ――専門学校の一年。マナの部活の先輩にあたる

タグチ――くらげに妙に詳しい生物教師。男性
ササキ――くらげが嫌いな音楽教師。女性

※劇中のバスのアナウンスはタグチ、コンビニ店員はササキが転じることを想定している。ほか、アンサンブル的に声を出すシーンはマナとトガリ以外のキャストを中心に配置。


舞台上にはすでに主役二名がいる。
二人のモノローグ。

マナ「語る言葉を持たない。この愉悦について、私は語る言葉を持たない。つめたい、でも絶対零度よりほんのわずかあたたかい君の手を握る。
と、透き通った疼き。甘美な、ちりちりとした欲と、ほんのわずか、知覚できないほどの神経毒、 痙攣、
ほうけてしまった私は思うの、
あなたに差し込まれる先端が、注がれる毒が、その瞬間、私をほんとうの意味で生かすのかもしれない。
あなたに奪われることだけで、世界のすべてが私のものになる気がする。」

トガリ「この劣情について、僕は語る言葉を持たない。
腐り果てた嘘と同じ色をした月光を浴びて、白い花のつぼみがほどけるような無意味を伴って、薬瓶たちがそっと呼吸を始める。
鈴にしたたるしずく、横顔の曲線、撃ち落とされるように、そのやわらかな器官に毒を塗るように、僕は君に口づける。
君に堕ちるよ。だから、堕ちてきてよ。僕に。」

ふたりの声に寄り添うように、いくつもの傘が揺れ、回転している


場面は転じて黒田家、リビング。
ナオミがテレビを観て発する一言をきっかけに場面が移る

ナオミ「またくらげだって」
マナ「くらげ?」
ナオミ「『相次ぐ捕獲、侵略活動本格化か』――怖いわねえ」
マナ「また大げさな」
ナオミ「大げさじゃないでしょう。あんなのほったらかしにするなんて、何考えてるんだろ」
マナ「いや、だって侵略?ないない」
ナオミ「随分自信があるみたい」
マナ「みんな言ってるもん」
ナオミ「みんなって?」
マナ「タグチ先生とか。……学校の。生物の」
ナオミ「生物の先生は予言者じゃないわよ」
マナ「そうだけど」
ナオミ「なんだって、わかんないのよ、用心しないと」
マナ「用心ったって、そうそう会うもんでもないし」
ナオミ「何事も、用心してしすぎることはないから」
マナ「そうかなあ」
ナオミ「そうよー、だってね、お母さんも」

ナオミの電話が鳴る。(スマートフォンでも構わない)

ナオミ「ああ、」

マナ、嫌そうな顔。二人とも相手は察しがついている。ナオミ、楽しげに電話に出る

ナオミ「もしもし?ああ先生、こんばんは。今週はもうお帰りですか?――ああそう、それはよかった。今時分はもう、話を聞いてもらうだけでもじゅうぶんに大変なことですから――」
マナ「電話のコール音って嫌い。ぶくぶくぶく、ぶくぶくぶく、胸が詰まって溺れそうになる。ああ、とっくに止んでるのにな、鳴りやまない。ほんとに溺れそう。ぶくぶくぶく、ぶくぶくぶく。」
ナオミ「はい?――ああ、先生。その件ですけどね。この冬は私、娘も大会へ連れて行こうと思っているんです。」
マナ「ちょっとお母さん、そんなことあたし一言も」
ナオミ「――ええもちろん。あの子もずっと受けたいって言っていました。(――ええ。若すぎることなんてありません、本当はもっと早く受けさせたかったぐらいです。あの子はとっても真摯に学んできて――これまでの学びの成果はきっとはっきり表れるはずです)」
マナ「お母さんは電話中、すっかり耳を塞いでしまう。ねえお母さん、私は何も学んでなんかいないし、ずっとそういうこと言ってたなんてそんなこともないし、いや、お母さん、待って。待ってってば。あたしそっちに歩み寄る気全然ない、全然ないの、お母さんとは仲良く暮らしたいけど、あの、そっちは、勘弁して」

ナオミ、電話を切って

ナオミ「ね、マナ。聞こえてたよね。今年は一緒に大会に行って、あなたも長老の教えを受けましょう。先生も喜んでらっしゃったわ。」
マナ「あー、そうなんだ、」
ナオミ「ほんとにいい子、マナみたいないい娘を持って私ほんとうに幸せ者ね」
マナ「あの、おかあさん、」
ナオミ「神様はずっと見ていてくださるから、きちんとこの世で正しい行いをしていくことが大切なのよ。教えを受けて、生涯を教えに捧げる決意を明らかにすることもそのひとつ。私たちは羊飼いなのよ、正しい行いを知っている、選ばれた人間なの。マナも神に恥じない行いをしなくてはね、そうして私たちは、裁きののち、選ばれる」
マナ「お母さん」
ナオミ「どうしたの?」
マナ「あのね、冬休みだけど、学校の冬期講習があるの。受験に向けて、大事な時期だから、絶対休んじゃダメって言われてるの。だから、行けない。」
ナオミ「行けないって?」
マナ「大会には、行けない」
ナオミ「そんな……マナ、だってあなた、受験って、大学にも行かないのに何しに行くのよ」
マナ「何回も言ってるけど、大学には行かせてくれないと困るっていうか、そういうつもりなら高校選ぶ段階で言ってほしかったんだけど、」
ナオミ「しっかり勉強をして入った高校でしょう?就職だってよりどりみどりに違いないわよ」
マナ「そんなわけないじゃん就職なんて言ったら先生たちひっくり返るよ。就職しようにもうちの高校に求人よこす会社なんて現実問題一つだってないし、大学に行くほかに生きていくための進路って、ないんだよ」
ナオミ「でも、早く人並みのお仕事に就いて、学校のお勉強なんかよりずっと大事な教えを広めるために生きていく、私たちは羊飼いとしてそういう人生を送るのが一番だって……先生もおっしゃるし、私もそうだから、マナも当然そうすると思って……ねえ大学なんてどうして行こうと思うの?お金だってたくさんかかるじゃない」
マナ「お金のことでお母さんには迷惑かけないよ。奨学金、いまは沢山あるんだよ、うちみたいな貧乏な家――」

貧乏、という言葉に、ナオミ、目を吊り上げる

ナオミ「貧乏?」
マナ「あ、」
ナオミ「マナはうちが貧乏だと思ってるの?」
マナ「違う、お母さんが頑張ってるのは知ってるから、」
ナオミ「頑張ってるとかそういう問題じゃないのよ。うちには確かに大金はないけど、もっと貧しい人のために使っていただくために、教会に毎月お金をお預けしてるからなのよ、それを貧乏なんて言い方しないで、マナ、」
マナ「おかあさん、わかった、わかったから……、あのね、大学についてはともかく、現実問題、高校は卒業した方がいいってお母さんも思ってくれてるでしょ?」
ナオミ「高校はね、でも」
マナ「高校を卒業しようと思ったら、冬期講習も必要単位とか内申に入ってくるし、私はきちんとそういう義務を果たすことも、教えにある通り、大事なことだと思ってるから……もう何日もないのにさ、先生を――学校のね、先生を裏切るみたいなことできないよ、そういう気持ちを置き去りにしてまで教えを受けるっていうのは違うかなって思う。ねえおかあさん、どうしてもどうしても今じゃないとだめなんて、そんなことないってよく長老だっておっしゃるでしょ、遅すぎることなんてないって」
ナオミ「……早ければ早い方がいいのよ?学校の勉強なんかより、もっと普遍的な意味で、より善く生きること、幸福に過ごす仲間を増やすこと、それが一番大事なことなんだから」
マナ「うん、わかった。わかったからさ。でも教会の先生だけじゃなくて学校の先生だって裏切れないから、今年はわたし、残念だけど行けない。来年はきっと一緒に行くから」
ナオミ「……わかった。あした、先生にもお伝えするわ。今日はお母さん、寝るわね」

ナオミ、いかにも落胆した風。ふらりとキッチンへグラスを取りに行き、慣れた手つきで睡眠薬を飲む。

マナ「ゆっくり寝なよ。おやすみ」
ナオミ「おやすみ」

ナオミ、去ってゆく
マナ、見送りながら

マナ「地上の楽園は乳と蜜の流れる地で、それを目指して羊飼いとして多くの人を導く伝道にいそしまなきゃならないんだ、っておかあさんは言った。でもここは砂漠じゃなくて、乳も蜜ももはやありあまっていて、貧しい人のためにって、うちより貧しい家って、日本にもどのくらいあるんだろう。いったい、何を求めてるんだろうね。母さんは」


場面転じ、上空。トガリが漂流している
仲間に呼びかけている。

トガリ「聞こえますか。誰か、聞こえますか。応答してください。繰り返します。応答してください。誰か、」

返事、返ってこない。

トガリ「だめか。……短い人生だった。やばいなあ、悔いしかないのに、」

死を目前にうろたえながらも、取り乱すほどの興奮がない

トガリ「いざ、落ちる、ってときに妙に冷静なの、これはこれですごく救いのない話だな。もっとわけわかんなくしてくれよ。ああもう、」

辺りを見回して

トガリ「漂流――、不完全ながらに大気の中で舵を取っても、なすすべなく、抗いようもなく。俺は間もなく落ちていく。自由落下は地球上で一番美しい運動だ。自らの意思にかかわらず、しかしまるでこいねがうように、否応なく、広大な地へ、親なるものへと引き寄せられ、落ちていく。美しい死だね。でもそれは救いじゃない。美しいことが免罪符にされては、たまらない。」

後ろを振り返る。方向感覚が狂うほどの、一面の闇と星。

トガリ「溺れそうなくらい、どこまでも、星しかないや」

幻聴。風や星がいくつもの女声のようにささやく。

トガリ「うるせえよ、少しくらい黙れねえのか、星」

弱弱しく独りごちるが、まとわりつくようにささやきは聞こえ続ける

トガリ「――耳鳴り、」

倒れ込み落ちていくトガリ
星がせせら笑っている



場面、マナの家へ戻る。少し遠くをバスが通る
アナウンス「次はー、翡翠橋、翡翠橋、お忘れ物などなさいませんようお気を付けください。このバスは本日最終です。お乗り過ごしのありませんよう――」

マナ、部屋でリラックスし、セーラー服を脱ぐ

マナ「眠……」

深いため息。

かれらの聖書(筆者注※ナオミたちの信仰の礎としては、いわゆる『新世界訳』に近いものをイメージしている)を開き、開いたページを読む

マナ「『何事も思い煩ってはなりません。ただ、事ごとに祈りと祈願をし、感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば、一切の考えに勝る神の平和が、あなた方の心と知力を、守ってくださるのです。』――こんな簡単に守ってくれるなら苦労してないっつうの、」

マナ、皮肉に祈る

マナ「天におられるお父様、ほんとにいらっしゃるなら申し上げます。あんたなんか大嫌いです。そもそも男親なんてたいていろくでなしじゃないですか、「父なるもの」が敬われているらしいことがそもそも気に入りません。私の母があなたの、あるいはあなたの名を借りたつまらない集団の、洗脳から逃れられるときが来ますように。
あなたを父と敬うこともありません、ただ私個人の名を通しお祈り……いいえ、呪います。私はあなたを呪います。」

突然窓の外で大きな音(トガリが落下している)

マナ「なに?……え、え?」

マナ、身構える。呻き声が聞こえる

マナ「……ここ、二階……」

窓から外を伺うと、人影のようなものがうずくまっている

マナ「……なにしてるんですか、」
トガリ「……ついてない」
マナ「声出しますよ」
トガリ「やめた方がいいよ、」
マナ「は?」

目が慣れて、トガリの姿が見えてくる。
人間とはどうやら異なる姿をしている。

マナ「……くらげ?」
トガリ「声、出したら刺すから、黙って。そう」

マナ、固まって動けない。頭だけが空転するようにモノローグと回想

マナ「くらげ、くらげ……?えっと、テレビで言ってるくらげ?そんな、いや、お母さんは言ってたけどまさかそんなことある?そもそもくらげってなんなんだっけ、誰かなんか言ってた、テレビじゃなくて、先生、タグチ先生が言ってた、なんだっけ、なんだっけ、あの、あれ、タグチ先生!」

タグチ、印象的に登場

タグチ「くらげっていうのはね、空に大きな浮遊性のコロニーを作って生活し、有性生殖も無性生殖もお手の物、エネルギーさえあればどんどん殖える、そういう生き物の総称です。
大昔はくらげといえば水中でしか形を保てないゼラチン質の下等な生物だったのが、いつの間にやらアマゾンの奥地から陸上に進出、人知れずものすごいスピードで進化を始めていた。何がどうなったのやらおおよそ500年前、陸棲・二足歩行のヒト型のクラゲが誕生してしまい、人間社会は阿鼻叫喚。そうこうしてるうちにくらげたちは人類の言語や科学や、色んな文化を輸入して――空中に住まう権利を要求し始めた。それに対して人間側は怒り、それはもう猛烈にブチ切れた結果、くらげたちに特定侵略的刺胞動物だなんて大げさなレッテルを貼り――まあくらげコロニーのステルス化と小規模化が進んで、近年は不幸にもバッタリ出会うようなことはずいぶん少なくなったけれど……人間とくらげは、基本的には戦争と呼んで差し支えない状態にあるんですねえ、ここ500年間、ずっと」
マナ「……戦争、」

マナ、我に返るようにトガリに話しかける

マナ「……落ちてきたの?」
トガリ「やむを得ず。俺も面倒は避けたい、」

見ればトガリは深手を負っている様子である。
マナはカバンを開けて何か取り出そうとする。トガリ、怯え身構える

マナ「ま、待って、違うから。絆創膏、」
トガリ「え、」
マナ「血出てるし、ないよりましでしょ、待って」
トガリ「え、いや、」
マナ「なに」
トガリ「からかってんの?」
マナ「そんなわけないじゃん」
トガリ「え?なんで?なにか?罠か?」
マナ「何で私の名前知ってんの」
トガリ「ワナっていうの?」
マナ「ああ、マナ、マナ」
トガリ「ま、マナ」
マナ「あ、聞き間違い」
トガリ「ああ……」
マナ「ごめんて」
トガリ「いや……」
マナ「ほ、ほら、あげるから(手帳かポーチから絆創膏を取り出す)」
トガリ「……ちっさくね」
マナ「しょうがないじゃん、」

トガリ、絆創膏を貼りつけ始める

マナ「あの、なんで落ちてきたの、くらげ」
トガリ「見たまんま、飛んでたらケガして落ちた」
マナ「うわ」
トガリ「もうだめだな。背骨はギリギリ折れてないと思うけど」
マナ「骨あるんだくらげ」
トガリ「骨って言うかまあ、骨的な」
マナ「骨じゃないんだ……」

マナ、少し様子を見て

マナ「……大丈夫?」
トガリ「関係ないだろ。もう喋んな、」
マナ「……」

トガリ、絆創膏を貼り、うずくまっている
マナ、意を決して窓を開ける。

マナ「……こっち、おいでよ」
トガリ「は?」
マナ「拾っちゃったから。世話したげようかと」
トガリ「拾われた覚えはないんだけど」
マナ「屋根の下の方がまだ安全でしょ、庇ってあげる」
トガリ「冗談キツいわ。そもそもお前ガキでしょ、親は」
マナ「母親一人。今は睡眠薬飲んでグースカ寝てるし、朝から晩まで働いてるし、もう少ししたら教団の合宿行くし、」
トガリ「キョーダン?」
マナ「宗教。それもうんざりするほどうさんくさいやつ」
トガリ「……罠?」
マナ「罠じゃないよ」
トガリ「見返りは?」
マナ「べつに、」
トガリ「やっぱり罠だろ」
マナ「……んー、とりあえずいいよ、ちょっと、話しようよ。名前とかあんの?」
トガリ「……トガリ」
マナ「トガリ、」
トガリ「って呼ばれてるよ」
マナ「尖ってんの?」
トガリ「さあ」
マナ「くらげってさ、何食べるの?」
トガリ「稲妻とか」
マナ「稲妻?」
トガリ「極論、エネルギーになるならなんでもいいんだけど」
マナ「電気食べるの?へえ……」
トガリ「固形物だったら、脂質もいいけど糖類が好きだ」
マナ「ケーキとか?」
トガリ「グルコースとかフルクトースとか」
マナ「ぐ……ふる……、なんだっけ」
トガリ「糖」
マナ「糖に種類とかあんの……」
トガリ「グルコースはブドウ糖、フルクトースは果糖だよ、甘くて……、たとえば蜂蜜はこのふたつが主成分だな。旨い」
マナ「あー、蜂蜜、へえ」
トガリ「エネルギー効率がいいものは大体うまいんだけど」
マナ「思ってたよりだいぶ雑な生き物だね」
トガリ「雑なのはお前らだよ、菜っ葉とかわざわざ食うんでしょ」
マナ「え、おいしいし……」
トガリ「人間がカロリーのないもの食うのほんとに理解できない」
マナ「デブみたいなこと言う」
トガリ「は?失礼だな」
マナ「ほんとのことじゃん」
トガリ「……ていうかお前、ほんとにバカなんじゃないの?無防備にも程がない?」
マナ「バカだよ。だから、入ってきなよ。怪我が治るまで、隠れていけばいい」

しばし逡巡、視線で無言の攻防があり、トガリ、根負け

トガリ「……信用するんじゃないからな。お前が俺と同じくらいバカであってくれる可能性に賭けるだけで」
マナ「いいよそれで。おいでよ、外よりはまだ、暖かいよ」

トガリ、窓から入ってきて、へたりこむ

トガリ「あー、」
マナ「風強い日は寒いけどね、隙間風」
トガリ「あー、痛い、もうほんと無理」
マナ「思ったよりヘタレ」
トガリ「俺肉体派じゃないもん」
マナ「見るからにそうだね」
トガリ「一旦、寝かしてほしいんだけど、ここ隠れるとこあんの、」
マナ「クローゼットの中とか?」
トガリ「(開けて中を見て)中身、どうすんの」
マナ「えっやだ、どうしよ、何も考えてなかった、そこから決めなきゃ」


場面転じ職員室。二十二時ごろ。
たみ、パソコンを開き翌日のプリント作りで残業中。タグチもいる。

たみ「中納言参りたまひて、御扇奉らせたまふに、『隆家こそいみじき骨は得てはべれ。それをはらせて参らせむとするに、おぼろけの紙はえ張るまじければ、求めはべるなり。』と申したまふ。――と。」

ササキ、タグチに寄ってくる。(ササキ女史はタグチに想いを寄せているが、タグチは気づいていない)

ササキ「ああ、タグチ先生、遅くまでご苦労さまです。どうなさったの?」
タグチ「いやあササキ先生。部活の世話をしてたらいつの間にか八時でね。すこしプリントでもまとめとこうかと思ったらこんな時間です」
ササキ「あら。生物部の子たちがそんな時間まで粘るなんて珍しい」
タグチ「フィールドワークをしたもんですから。そのまとめを作りながら議論が白熱して」
ササキ「難しいことなさってるんですねえ」
タグチ「ササキ先生ほどでは。だって今いくつの顧問を掛け持ちなさってるんです」
ササキ「ええと、吹奏楽に合唱、声楽、ギター、軽音楽、マンドリン、ピアノ、弦楽、それから」
タグチ「ぜんぶ指導するのは大変でしょう」
ササキ「大丈夫ですよ、みんな本当にまじめですからね」
タグチ「吹奏楽も合唱も見ているとなると、お休みもないんじゃありませんか」
ササキ「まあそのあたりはほかの先生とも分担しておりますので。各部を一週間かけて回らせていただいてます。」
タグチ「ほほう……さすが」

タグチの電話が鳴る。

タグチ「失礼。……もしもし?どうしたんだ、わざわざこんな時間に、僕んとこに連絡してくるなんて。」

電話の相手は生徒ではなく、会話は何らかの暗号である。
あたかも生徒などを相手にしているかのようにタグチ、話し続ける。

タグチ「……ああ、それは大変だ……そりゃあみなさん不審に思うよ、不法侵入じゃないか」
ササキ(傍白)「不法侵入!?」
タグチ「……いよいよもって大ごとだな。仕方ない、そういうことなら、ひとまず全部うちによこすといい……で、よこすものが、見つからない?
やれやれ。手伝いが必要かい。……わかったわかった。また連絡しよう。……じゃあそのように。(切る) いやあ、生徒があんまり研究熱心なのも困りものですな」
ササキ「か、変わった子も多い学校ですものね。不法侵入……あの、天才とナントカとは……いえ……なんでもないのよ……タグチ先生は心が広くていらっしゃるわね……」
タグチ「いやいや。さて、そろそろ僕はおいとましますよ。ササキ先生も無理はなさらず早めにお帰りになってください」
ササキ「ええ、お気遣いどうもありがとう」
タグチ「吉田先生もね。」
たみ「あー、お疲れ様です」
タグチ「はい、お疲れ様、どうもー。」

タグチ、去る。

たみ「ふー、で、『さては、扇のにはあらで、海月の(ななり。』と聞こゆれば――)」
ササキ「くらげ!?」
たみ「あ、ササキ先生」
ササキ「まだそんな文章が教科書に載ってるんですか?イヤだわ……くらげなんて言葉聞くだけでおぞましいじゃありませんか」
たみ「聞くだけでも、って、本当にお嫌いなんですね。くらげ」
ササキ「好きとか嫌いの問題ではないんですよ、あれは。分かってないのねえ。」
たみ「(やや戸惑って)まあ、遭遇したこともないんで、なんかピンとこないっていうのが正直というか」
ササキ「ネットで検索してごらんなさいよ。つい今朝だって、この近くで目撃されたってニュースになってたじゃない……ああ思い出すとムカムカするわ。せっかくタグチ先生とお話して気分がよかったのに、台無しよ……先生、私、帰りますので戸締りよろしく」
たみ「はーいお疲れさまでーす。(見えなくなるのを待って)……しょうもな。……あー、次一年生のやつ!そういえば枕草子被り?めずらしー。えーと、冬はつとめて。」


場面転じてマナの部屋。冬の夜明け。つめたい外気。暗闇が少しずつ紺色がかり、やがて薄くなっていく。
トガリ、マナの部屋の窓から顔を出して外を眺めている。マナ、うとうとしながら起き出す。

マナ「何してんの」
トガリ「地上はやっぱり、遅いんだな。夜明け」
マナ「のびのび過ごしてくれるのは別にいいんだけど、地味に私も危ない橋渡ってるからね、くれぐれも」
トガリ「見つからないように、はいはい」
マナ「調子は?」
トガリ「おかげさまで」
マナ「早く治して出て行きなよ」
トガリ「自分で招き入れたんだろ、治るまでは居座るぞ」
マナ「あーはいはい」
トガリ「ということで、朝メシがほしい」
マナ「あんだけ食べて、まだ食べる……だめだったらアレね(コンセントの方を向く)」
トガリ「げ。」
マナ「贅沢言える身分じゃないからねあんた」
トガリ「だって電流も電圧も……あんなにマズい電気があるとは思わなかった。まがいもんだよあんなの」
マナ「しょうがないじゃん、一晩であたしの秘蔵のお菓子、飴二袋に板チョコ二枚、おまけにとんがりコーン一箱までぺろりだと思ってなかったんだもん」
トガリ「おかげさまで、思ったより治りが早いです」
マナ「ああそう、」
トガリ「稲妻だったらな、一発かすめるぐらいで腹いっぱいなんだけどな」
マナ「ていうか、稲妻って美味しいの?すごい不思議なんだけど」
トガリ「水と電気が両方摂れるから、雷雨は甘い」
マナ「甘いの?」
トガリ「電気は俺たちにとっては、甘いよ、はっきりと」
マナ「あたしたち電気食べられないから知らないや」
トガリ「つうかさ、俺らの方が言語を輸入してるのもあると思うけど、甘いっていう概念、は共通なんだよな」
マナ「ほんとに同じ味のこと言ってんのかな」
トガリ「でも大体、エネルギー源って、甘いんだよ。お前らにとって糖が甘いなら、多分俺たちの『甘い』も同じ味なんじゃないかな」
マナ「そっか。そうなのかも」
トガリ「甘いもん頼む」
マナ「はいはい。期待しないで待ってて。」

マナが階下へ降りてゆくとナオミが仕事の支度をしている

ナオミ「マナ、おはよ」
マナ「おかあさん、朝ごはん何食べた?」
ナオミ「(テーブルの上のサプリの瓶を見て)ん、きょう食欲なかったから、ごめんね」
マナ「あたしはいいけどお母さん、体壊すよ」
ナオミ「それよりマナ、大会ね、ほんとにほんとに行かないの?」
マナ「うん、昨日話した通りだよ。今年は行けない。」
ナオミ「どうにかして休めないの?家庭の大事な事情には変わりないのに……冬休みでしょう?学校の人たちはそんなに理解がないの?」
マナ「学校がっていうより、外の人は内側の人がどれだけ信仰を大切にしてるかほんとに分からないんだよ、それは仕方ないことじゃないの」
ナオミ「だとしてもしっかりお話すれば分かっていただけるんじゃない?あの、あのときだって」
マナ「(濁すように)お母さん、時間大丈夫?」
ナオミ「あ、ほんと……でも、ほんと、考えといてね。行ってきます」

ナオミ、去る。ドアの音。

マナ「……私だって分かんないもん。あー、どうしよ。トガリのご飯、」

しばし探すと食卓の隅にポテトチップスを見つける。それをトガリに与えることにする

マナ「トガリー」
トガリ「はーい」
マナ「おかあさんのご飯は超ヘルシーっていうか、カロリーほぼゼロだったので、あんたの腹は満たせそうにありません。というわけで」
トガリ「何これ」
マナ「ハイカロリー菓子の代名詞たるポテトチップスです。◎◎味」
トガリ「へえー……、とりあえず何でもいいや」
マナ「欲しけりゃ態度ってもんがあるでしょ」
トガリ「人間様、哀れなくらげめにカロリーをお恵みください」
マナ「そこまでされると慇懃無礼」

ポテチの袋を渡し、マナ、着替え始める。

マナ「人間サイズのでっかい図体してるくせに、ほんとに肉とか野菜とか食べないの?」
トガリ「作りが違うからね。必須なのは水とエネルギーだけ――地上近くまでくると、嗜好品として果実とか食べることもあるけど、食べた後は体がちょっと食べたものの色に染まったりする」
マナ「変な生き物だね、くらげ」
トガリ「お前らこそ、むちゃくちゃ変だし不便だろ、なんでそんな細かいバランスまで考えて食事なんかしなきゃいけないわけ」
マナ「わかんないし正直めんどくさい」
トガリ「やーい」
マナ「うるさいタコ」
トガリ「タコじゃねえしくらげだし」
マナ「そういう意味で言ってないです」

マナ、会話しながら着替えている

トガリ「……どっか行くの?」
マナ「うん、学校」
トガリ「どのくらい、空けるの?」
マナ「夜までいないけど……なに?」
トガリ「……あの、昼飯は、我慢するんですけど、晩飯を、あの……お願いできますでしょうか」
マナ「敬語?」
トガリ「いや、……こういう形で生殺与奪を握られちゃったからには、お願いはきちんと、した方がいいかと」
マナ「人にやーいとか言っといて手遅れだからね」
トガリ「その辺はこう、素直にいこうかなって……申し訳ございませんでした」
マナ「いいけど……。ポテチしかなくて悪いけど、部屋の中なら好きにしてていいから。おとなしくしてて」
トガリ「言われなくても」

マナ、出て行く。
トガリ、ポテチを食べながらクローゼットへ引っ込んでいこうとする

トガリ「え……うっま、これ」

と、マナの忘れていったスマートフォンが鳴る。気になって触る。

トガリ「何これ」

ポテチとスマホを持って、トガリ、クローゼットへ


マナ、通学路を歩きながら回想

マナ「くらげ~……あと、あとタグチ先生、なんか言ってたっけ、くらげ、くらげ、くらげ……」

タグチ「で、みなさん、質問は?」
マナ「先生、」
タグチ「はい」
マナ「どうして人間は、空に住まう権利を彼らに認めようとは思わなかったんでしょう、こんなに長い間、戦争をしてまで」
タグチ「ああ、いい質問。まあ日照権とか領空とか制空権とかね、色々建前はあるけど……せいぜい地上一千メートル、スカイツリーよりはちょっと高いけど、たいていの飛行機には直接影響しないくらいの高さや位置だったはずだ。別に市街地に影響を与えない場所にコロニーを築いてもらうのは全く構わないわけだ。それでどうして戦争になるかって、一言だよ。人間は怯えてるんだ。くらげに。
昔は野蛮にも水族館に閉じ込めていた、単純な、食物連鎖の下層にいたはずの取るに足らない生き物が、急に人型になって言葉を覚えて交渉の場を持ちたがる……。
そもそも彼らは元々、骨も脳も持たない動物の代名詞みたいなやつのくせに、脳も骨も持った脊椎動物を平気で殺して食ってしまう、得体の知れない生き物だった。それが人型になってこちらとの交渉を試みてきた時点で、彼らは実はむしろ、全身が脳と言ってもいい生き物だと分かったわけだ。平たく言えば彼らは賢かった。私たちよりずっと賢くなるポテンシャルを持っている生きものに住処を上から眺めまわされるのは、多くの人間にとって恐ろしいことだったろう」
マナ「実際自分より大きな異形に上から眺めまわされるのは不愉快っちゃあ不愉快だ。人間の男ですら嫌なのに、ましてくらげ、未知の生き物だったくらげ。侵略者扱いも仕方ないっちゃそうなんだろうか。でもだってもう500年間にらみ合いで、どうしてこんなこと続けるんですか、先生、」

ササキ、いつの間にか登場し割り込んでくる

ササキ「決まってるじゃないの、それはくらげが青いからです!」
マナ「あたしササキ先生には聞いてないよ」
ササキ「人間には長い歴史があります、先史時代も含めるならば人間としての何万年にも及ぶ血統があります。ヨーロッパ系、アフリカ系、アジア系、どの人種もアフリカにルーツを持つ正統な人類。それにひきかえ、くらげはもともと下等な生物だったのが密かに人間の形をまねて増え、人間と対等に交渉なんてしようとする……あれはコソ泥です、侵略者です。青い侵略者。こちらの形を盗んであんな巨大になったものと対等に共存なんてしていけるはずがないんですから、こちらからそれなりに取り締まるのは当たり前の話です!」
タグチ「こういうことだよ、そういうことになってからというもの、人種差別が時代遅れになった代わり、今度は人類総出でくらげを差別するようになった。その差別意識が政治的に表象されたのが戦争だ」
ササキ「差別なんかじゃありません!当然の区別が必要なんです!」
マナ「なるほど先生、こういうことね、分かった」
ササキ「分かってくれました?」
マナ「じゃなくてタグチ先生」
タグチ「まあもっとも差別意識と政治的判断のどちらが先かって言うと卵が先か鶏が先かという話なんだけれども……」

マナ「……という話をなんとなく授業やなんやで聞いていたけれど、実際くらげに会ってみてとりあえず話が通じてきたのはタグチ先生のおかげだよねありがとう生物教師。なんでくらげのことそんなに知ってるのか訊いたら意味深に笑ってたけどもしかして何かあったんだろうか。いやまあ何があってもびっくりしないけど。あの先生に関しては……(コンビニに着いている)これくださーい」
(ササキが店員に転じ)
店員「653円になりまーす、あたためいかがしますかー」
マナ「だいじょぶでーす」
店員「あざっしたー」
マナ「蜂蜜、飴ちゃん、ポテチ……あの言い草だとたぶんサラダ油とか飲ませてもおいしいおいしいって言うんだろうけど、こっちが胸焼けしそうだからそれはとりあえずやめとこ。トガリの今日の晩ご飯確保!」


転じて職員室
たみが電話を掛けている(スマートフォン可)

たみ「いえ、ですから、そのあたりはご家庭でのご相談も大切ですけれど、学習への意識が高いことはわが校としましてはたいへん望ましいことですし、ぜひ黒田さんの成績であれば、進学を見据えていただきたいと……ええ、そうですね、ご家庭のことはおっしゃる通りかと思いますけれども……すみません、そろそろ授業時間でございますので、その件については今度改めてお時間取っていただくようなことはできないでしょうか……ええ……お忙しいかとは思いますけれど……はい、よろしくお願いいたします、失礼いたします」

たみ、深いため息
と、モモが職員室へ入ってくる

モモ「こんちはー。たみちゃんいるー?」
たみ「あれ、鈴木モモじゃん、どうしたの」
モモ「午後休講だったから遊びに来たんだけどー」
たみ「へーそっか、珍しい。ゆっくりしていきなー」
モモ「言われなくても」
たみ「学校どうなの?なんだっけ、モモ、美容系だったっけ?」
モモ「いやもう、マジで楽しいの。やっぱかわいいものに囲まれるってアガるわ」
たみ「でも大変でしょ、専門」
モモ「まあカリキュラムはキビシイかも。就職しても仕事の内容は泥くさいしね。まあでも別に勉強してる内容で就職する必要ないし、ガッコでやってみて合わないから別の仕事する子とか結構いるよー」
たみ「へー、」
モモ「卒業はして資格だけとるって子もいるし、資格も別にいらないから中退するー、とか?そりゃ中退する時点でなんも考えてない子もいるけど、合わなくて学校辞めるなら、時間も金も無駄になんなくていいよね」
たみ「やめちゃっていいの?そこで」
モモ「いや、四大のひと、学校やめたら終わりだと思ってる率高すぎじゃんね。めっちゃ止められたけどそういうのあたし無理だと思うんだよ。こーゆー専門行って、正解だったと思う」
たみ「はー、なるほどねえ。(予鈴)あー、そろそろ行かなきゃ」
モモ「いってらっさーい」

教室

たみ「始めるよー」
マナ「きりーつ、れーい」
たみ「今日から枕草子でーす、作者は」
マナ「清少納言」
たみ「まあ言うまでもないよね。で、これみんな予習で読んできたと思うんだけど」
マナ「あ、やば、予習してない」
たみ「とりあえず今日は私が読むので続けて読んでみてくださーい」
マナ「やったね」
たみ「中納言参りたまひて、御扇奉らせたまふに、『隆家こそいみじき骨は得てはべれ。それをはらせて参らせむとするに、おぼろけの紙はえ張るまじければ、求めはべるなり。』と申したまふ。
『いかやうにかある。』と問ひ聞こえさせたまへば、『すべていみじうはべり。さらにまだ見ぬ骨のさまなり。となむ人々申す。まことにかばかりのは見えざりつ。』と言高くのたまへば、『さては、扇のにはあらで、海月のななり。』と聞こゆれば」
マナ「くらげ」
たみ「このあと分かった?誰も見たことない骨って、くらげの骨かよ!って清少納言が突っ込んでるんだけど」
マナ「くらげの骨……(ちょっと笑う)」
たみ「予習でよく分からなかった人は授業でしっかり身につけていきましょう。ここでクスッと来てる黒田さんはきっとかなりよく読めてるんだと思うけど、細かい敬語とか、改めて授業で確認してね」
マナ「いやまあ全然読めてないんですけど」
たみ「じゃあ早速黒田さん、一文目訳してみましょうか」
マナ「え!ちょっと待ってくださーい、えっと、えっとー、」

チャイムの音

たみ「えっ授業終わるの早すぎない?じゃあ今日はここまでー、黒田さん次回最初ね」
マナ「はーい!助かったー、きりーつ、れーい」

職員室

モモ「たーみちゃーん、待ってたー」
たみ「えっまだいたの」
モモ「せっかくだから部活までいるー」
たみ「あと二コマあんじゃん、ほかの先生にも挨拶とか行けば?」
モモ「えっ挨拶ってたみちゃん以外だれに?ケンカした人しかいないんだけど」
たみ「いや、ああ、そう……このあと授業ないしいいけど、あんま構えないよ(採点を始める)」
モモ「いいよーツムツムしてるし、コンセント借りるね」
たみ「それ盗電だから」
モモ「細かいこと言わなーい。最近やっとスコア億いって」
たみ「億とか出るんだ」
モモ「この高校でよかったことってスマホ持ち込み自由なことだよね」
たみ「授業中しょっちゅういじってたでしょあんた」
モモ「あれはボイレコだよー、メモぐらい録音でも撮影でもなんでもいいじゃん」
たみ「いや正直いいけどさあ。いい顔しないでしょ、ほかの先生たち」
モモ「あーうん、一回ササキに授業ほぼまるまる一時間使ってネチネチ公開処刑されたことあるよ」
たみ「あーあー、あったなあ」
モモ「ササキ先生の前でやったあたしが悪いんだけど、合唱だから課題曲のテープ録音したかっただけなんだよねー。で、まあ正直音楽だからみんなどうでもよくてスルーしてたけど、レットーセーたった一人に時間割いて、無駄だなーって。ただのバカなんだから、ほっといてほしいんだけど」
たみ「まーその辺はさ、先生によるよね、うん」
モモ「(周りを見回して声をひそめて)ぶっちゃけだけどさ、たみちゃん、ササキのことキライでしょ?」
たみ「(声をひそめて)ここだけの話」
モモ「(笑って)たみちゃんわっるー」
たみ「他の先生に言わないでよ、クビんなるかも」
モモ「はーい」

いつの間にかタグチがいる

タグチ「何の話をされてるんですか」
たみ「!」
モモ「あー、タグっさんだ」
タグチ「めずらしいねえ、鈴木さん」
モモ「たみちゃんと後輩に会いに来たんです」
タグチ「ほー、鈴木さんは何部だったかね」
モモ「文芸部でーす」
たみ「顧問です」
タグチ「ああ、じゃあ黒田さんと同じか。なるほど。いいねえ、青春だねえ」
モモ「え、文芸って青春ですか?地味じゃない?」
タグチ「無心に何かに打ち込むのはなんだって青春だよ」
モモ「えっいいこと言う~!」
タグチ「事実だから」
たみ「タグチ先生、あの」
タグチ「私は何も聞いてませんけどね、用心してしすぎることはありませんよ、あなたもう高校生じゃないんだから」
たみ「ハイ……」

チャイムが鳴る。
部室。マナがすでにいる

たみ「おつかれさま、早いねー」
モモ「おひさしー」
マナ「え、モモ先輩なんでいんの」
モモ「せっかく遊びにきたのにおまえー、かわいくないなー」
マナ「いや超うれしいっす」
モモ「もっと嬉しそうに言えよ」
たみ「相変わらず仲いいねえ」
マナ「いや、仲良くないし」
モモ「ひどくない?ねえたみちゃんひどくない?」
マナ「ひどくないです」
モモ「ナマイキだなー。いまなんかやってんの?」
マナ「シシュウ作ってます」
モモ「え、詩集って、ポエム?リリック?アンセム?」
マナ「何言ってんですか、刺繍ですよ、ステッチですよ、ソーイングですよ」
モモ「いや文芸っぽいことやれよ、なんで文芸部員がポエムじゃなくてステッチなんだよ」
マナ「無心で刺せるから」
モモ「お、おう……」
マナ「同じ理由で編み物も好きです」
モモ「悟りでも開こうとしてんの?」
マナ「ババアなんで」
モモ「自分よりババアの前でババア自称すーんーなー。マナいま二年でしょ?いいじゃん十代、ピチピチで」
マナ「いや、じっさい、若いってなんにもいいことないですよ。とりあえず早く十八になりたい」
モモ「なんで十八?」
マナ「……いや、色々」
モモ「色々?」
マナ「色々」
モモ「えー、やましいこと?」
マナ「先輩じゃあるまいし」
モモ「わかった、早く大人になってAVとか見たい的な」
マナ「いや、見たいとしてもいま普通に見れるし」
モモ「普通に見れるんだ」
マナ「ブクマしてるし」
モモ「うっわ」
マナ「逆に先輩ウブかよ」
モモ「えー、じゃあ、なに」
マナ「……献血したいんで」
モモ「まじめか」
マナ「そんで、母親と縁を切りたいんですよねー」
モモ「……ん?どゆこと?」
マナ「……ざーっくり、そゆことです」
モモ「話繋がってなくない?」
マナ「要するにそういうことで繋がってます」
モモ「待って、全然分かんない」
マナ「知らないなら知らない方がいいですよ、そんなこと」
モモ「え、ナマイキかよ」

マナ、少し遠い目をして

マナ「先輩って幸せですよねー、なんか」
モモ「声が全然褒めてないんだけどそれ馬鹿にする意味のやつ?」
マナ「うん」
モモ「おまえなー、おまえなー、」
マナ「いやでもほんとなんか、羨ましいです、自由で」
モモ「別にそんな自由じゃないよ」
マナ「自分じゃ気づかなかったり、するんじゃないですか」
モモ「そうなのかもしれないけど。なんか文芸っぽいこと言ってんじゃん」
マナ「存在が文芸部なんで」
モモ「じゃあステッチなんかしてんなよ」
たみ「あんたたち仲いーよねえ」
モモ「いやいや」
マナ「仲悪いですよ」
たみ「どの口だよ」

チャイムが遠く鳴る

モモ「え、もうこんな時間?早、」
マナ「モモ先輩知ってます?昔に比べて時間経つの早いのって、年取った証拠なんですって」
モモ「はいはいババアですよ。老害は退散するわ」
マナ「お気をつけて」
モモ「また飯でも行こ」
マナ「奢ってくれるの?太っ腹―。楽しみにしてます」
モモ「奢らないっつうの」

モモ、去る

たみ「仲良すぎかよ」
マナ「良くないですー、腐れ縁だもん。遅くまでごめんね、たみちゃん」
たみ「いやいやいーのいーの、いいんだけど、……あのさー、マナ」
マナ「なに?」
たみ「昼休みさ、職員室に電話あったよ。お母さんから」
マナ「え、」
たみ「冬講と教団のイベント被ってるんだって?」
マナ「……行きたくないって言ったのに」
たみ「いや、だろうなーと思って。終業式から冬講欠席させたいって言われたんだけどさ。とりあえずかわしたつもりだけど、どうかなあ。
まあ冬講、成績に響くわけじゃないし、ぶっちゃけこのタイミングで行って話はぐらかせるなら行ってもいいんじゃないかとも思うんだけど」
マナ「だめなんだよ。今回行ったら多分本格的に逃げられなくなるから。だから、成績に響くって嘘ついて講習申し込んだの、高校出るとこまでは応援してくれるみたいだから」
たみ「高校の先はダメって?こわいなー、」
マナ「早く縁切りたいんだけど」
たみ「……とりあえず帰んなよ、……帰りたくないかもしれないけど」
マナ「うん、今日は母さん、遅いはずだから。今のうちに」

たみ、見送って

たみ「難しいねえ、人生」

ササキが出てくる

ササキ「吉田先生」
たみ「あれ、ササキ先生どうされたんですか」
ササキ「筝曲部の指導から戻るところなんですけどね、先生は職員室には戻られないのかと思って」
たみ「ああ、ええ、すみません、そろそろ戻ります……ササキ先生、今日はご機嫌ですね」
ササキ「やだ、そんなことありませんよ」
たみ「いいことあったんでしょうね」
ササキ「いえ、そんな大したことじゃないんですけどね……もう言っちゃっていいかしら……タグチ先生とディナーに行くんです、今夜」
たみ「あー、へー」
ササキ「前からお話はさせて頂いていたんですけど、明日は終業式でしょう、ようやくご都合がつくということで。パスタとピッツアのおいしいお店を予約してあるんです。もちろんワインも。いまどき予約ぐらい、男性にお任せしなくてもいいでしょう?」
たみ「ああ、そうですか、楽しんできてください」
ササキ「ええ、とっても楽しみよ。そういうわけで今日は早く帰りますから、あの、……(意味深に)ごめんなさいね。」

ササキ、去る

たみ「どうでもいいんだけど……なんか勘違いしてんのかなあの人……」
タグチ(放送)「吉田先生、お電話です。職員室にお戻りください。」
たみ「嫌な予感……勘弁してよ……」


マナ、部屋へ戻ってくる

マナ「ただいま。トガリー、晩ご飯だよ、……トガリ?」
トガリ「ん?」
マナ「あ、寝てた?ごめん起こして」

クローゼットを開けると、イヤホンをつけてスマホをさわっているトガリ

マナ「あー、何勝手に人のスマホさわってんの」
トガリ「スマホってゆーのかこれ」
マナ「イヤホンまで勝手に」
トガリ「だっていろいろ鳴ってうるさいし……いじってみたら色々面白いし……暇だったし」
マナ「もー、返して、ほら」
トガリ「あ」

マナがスマホを奪うとイヤホンが抜ける。
トガリが見ていたのはアダルトビデオ。部屋に響く喘ぎ声
マナ、即座にビデオないし音を止める

マナ「え、ちょっと、これ」
トガリ「(悪びれず)悪い」
マナ「いや、あの、え?」
トガリ「ブックマークに入ってたから」
マナ「あ、結構使いこなしてんだあ……じゃなくて」
トガリ「これ人間のつがい?記録映像か」
マナ「……そんな感じ」
トガリ「なんかぐるぐる巻きになってるけど、どういう目的で取ってる記録なの、これ」
マナ「え、どういう、って、……くらげにはないの、そういうの」
トガリ「おれははじめて見た」
マナ「え、だから……そういうの見て……、一人で真似る……んだって」
トガリ「何を?」
マナ「セ……生殖のためにする行為を」
トガリ「何のために?」
マナ「きもちいいから」
トガリ「へえ、性感のために」
マナ「そう、みたい、よ」
トガリ「してたの?」

マナ、無言で殴りつける
トガリ、ひょいとよけながら

トガリ「そこで無言で殴ってくるのは肯定だな」
マナ「ちが、」
トガリ「違うのに殴るの?」
マナ「せ、正当防衛」
トガリ「正当防衛?」
マナ「あーもう!してた!してました!性感のために!そういうこと!オスのほうがするらしいけど!メスでもする方法があるから!くらげはしないかもしれないけど!」
トガリ「へー、」
マナ「……何言わすの、恥ずかしすぎる、もうやだ、ばか、ばかばかばか」

泣きそうなマナ。トガリ、焦る

トガリ「え、泣くなよ、ちょっと」
マナ「泣く、泣くもん、トガリがひどいから、泣くもん」
トガリ「あー、待って、ほんと待って、わかったから、わかった、するよ、くらげもするよそういうこと」
マナ「え?」
トガリ「ひとりで真似、するよ、交尾の」
マナ「だって初めて見たって」
トガリ「うん、そんな、ぐるぐる巻きになってるのは初めて見た」
マナ「ぐる……」
トガリ「マニアックなやつなんでしょ?」
マナ「……」
トガリ「へーんたーい」
マナ「……追い出されたい?」
トガリ「勘弁してください」
マナ「勘弁してほしかったらそれなりの態度があるよねえ」
トガリ「態度……とは」
マナ「トガリのちんこ見せてよ」
トガリ「え?……ちんこって、その、え?」
マナ「オスの生殖器官」
トガリ「マジで言ってんの?やだ、変態」
マナ「こちらのプライバシーを侵害されたからにはそちらのプライバシーも侵害したい」
トガリ「け、喧嘩両成敗?」
マナ「目には目を歯には歯を、の方が近いかな」
トガリ「え、やだ、恥ずかしい」
マナ「恥ずかしいとか言うガラじゃないでしょ、こんな恥ずかしい思いさせといて、せめて同じだけ恥ずかしい思いしなよ」
トガリ「け、けだもの……」
マナ「どっちが!?」
トガリ「あー、あー、わかった、わかった、わかった、ちょっと待って、おれらの身体は君らと違うから、」

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